相模原事件を考える
相模原事件とは2016年に相模原障害者施設で起こった死者19人、負傷者26人を出した障碍殺人事件です。犯人は元職員・植松聖で裁判は2020年(令和2年)3月に横浜地方裁判所における裁判員裁判で死刑判決を言い渡され、自ら控訴を取り下げたことで死刑が確定しています。すぐ逮捕されていますが、初公判が開かれるまでは3年の期間を要しました。その間には被告の精神鑑定が行われています。精神鑑定の結果は「自己愛性パーソナリティ障害」など複合的なパーソナリティ障害があったことが判明したが、「動機の了解可能性」「犯行の計画性」「行為の違法性の認識」「精神障害による免責の可能性」「犯行の人格異質性」「犯行の一貫性・合目的性」「犯行後の自己防衛行動」の面から犯行時には「完全な刑事責任能力を問える状態」であったとされました。精神障害で免責された場合にすぐに野放しになるわけではありません。現在では無罪の判決を出した裁判官が精神病院で入院治療を行うことを指示します。受け入れた精神病院の責任者がその病気が治ったあるいは外来治療でよいと判断した場合には退院が可能です。そのため、治療可能かも問題になります。「自己愛性パーソナル障害」に関しては、そのパーソナリティ障害によって今回のようなことを起こさないかどうかの問題になります。認知行動療法によって、このようなことを起こさないようにすることは可能かもしれません。小児愛に関しては治療が可能かどうかの問題があります。無罪になることはありませんが、刑期を終えても再犯を起こす可能性はなくなりません。このことを手記にしている小児愛の性癖を持つ人もいます。このような場合にはどうすればいいのでしょうか。再犯を起こさないように監視することしかないのでしょうか。立法府は真剣に検討して欲しいと思います。相模原事件でもう一つ問題になったのは被害者の名前を公開するかどうかです。犯罪が行われそれを伝える記事では被害者の本名は明かされませんでした。また、裁判中も本名は隠されていました。しかし、保護者の一人が本名を出すことを要求してそれは認められましたが、本人が未成年のために本名を明らかにして新聞はほとんどありませんでした。犯人は衆議院議長に対して犯行予告を行っており、それをきっかけとして精神病院に措置入院しています。しかし、犯行は実際に行われています。退院可能と判断した医者に関しては責任を問うことはできません。血液検査や脳波検査で判断することはできないからです。また、そのまま、何年も入院させていれば、精神科の長期入院に対する問題に引っかかるかもしれません。ここで問題にしたいのは、一人暮らしを許可したことです。入院するほどではないが、何らかの治療を行う必要がある場合に、日本ではそういう人を預かる施設はありません。人並みに労働はできる場合であればさらに対応する施設は限られていまいます。現在のところ落ち着いているが、いつ変化するか分からない人格障害の場合には就労継続支援施設B型(私がいま在所しているところです)があるかもしれません。A型のように就業を目的とした施設ではなく、就業させると、なにをするか分からない、年齢的に問題があるなどの問題を抱えている(私の場合は自殺)人間に対して仕事の場を提供するなどを行う施設です。この施設は比較的小規模なところが多いです。一人にしなければ、この事件は起こらなかったかもしれません。また、国の役に立たない人間は殺すという考え方に対して私は、きちんと反論することはできません。コロナで医療施設が逼迫した際には、治療のトリアージを検討するべきだという意見も出ました。実際にどちらかを選択しなければならない状況になる前にそれを決めておくことは必要という意見には賛成です。しかし、現在のコロナでの治療に関しては起こりませんでした。(来年の冬に起こるかもしれませんが)。もう少し落ち着いたらトリアージに関しても立法府は検討するべきだと思います。このとき、傷害の有無、生産性などという意見が出ると思いますが、それに関しては私は反対の立場を取りたいと思います。命は地球より重いからという理由ではありません。その言い方はまた、議論すべきでしょうが、私は嫌いです。死は全員に来るべきものであり、同じ症状であれば、ランダムにすべきで他の要因を入れるべきでは無いと思っています。大事故でのトリアージではないのです。今回のCOVID-19感染拡大においては国及び医療機関がいったん収まった後に、なにもしなかったことが問題だと思っています。いまは責任を追及する必要がありませんが、総理大臣と医師会会長はCOVID-19の無作為で感染拡大を招いた責任を取って止めるべきだと思います。人格障害について考えるところをもう少し述べたかったですが、昼休みも終わりましたので、今回はこれぐらいにしておきます。