対談 戦後60年 日本・アジア・世界 【復刻日記】
■ 対談 戦後60年 日本・アジア・世界 【復刻日記】以下は、私が 2005年1月24日に書いた「記事」である(このごろは「日記」と言う表現に抵抗感がある)(ブログだから「記事」とした方がいいだろうと思う)どうしてわざわざ日付を注記するのかというと、以下の記事が約3年前の新年に、戦後60年を総括した対談であるから、その3年間の歳月のタイムギャップがどんなものかを見てみたいからである同時に、私の当時のコメントを読んでみて、今も同じ事を考えているのか、それとも今は別な考え方をしているのか?を考えてみたいからである ―――― ◇ ――――【復刻日記】■ 対談 戦後60年 日本・アジア・世界 正月の1月7日付の朝日新聞朝刊の「オピニオン」というページに、「戦後60年 日本・アジア・世界」と題した対談が掲載されたそれを私なりに、ダイジェス & リライトトしてみた対談者○ 梅原猛(うめはら たけし) 哲学者・歴史家 国際日本文化研究センター顧問○ 五百旗頭真(いおきべ まこと) 広島大学助教授 政治外交史専門○ 司会: 朝日新聞論説委員・薬師寺克行国家主義復活が不安=========○梅原 国家主義がまた復活してくるような感じがする○五百旗頭 戦後60年がたち、日本は経済大国になった 当然、世界の安全保障にも参画しなければ行けない 対米関係を機軸にするのは正しい選択だが、米国の意向だけを日本の判断基準にするわけにはいかない○朝日 最近、国内で北朝鮮や中国に対する強硬論が目立つ○五百旗頭 毅然として対決せよと言う威勢のいい発言があるが、実は日本にそんな力は無い 米国の軍事力を当て込んだもの■ (alex 同感 だが、同じように非戦・平和を唱える人たちも、米軍の存在をあてこんでいる)○五百旗頭 脅威のある国とはむしろその国と仲良くするというのが外向的な知恵■ (alex 中国と北朝鮮と仲良くするという方向は総論賛成だが、そうは簡単に仲良くできる現状ではない 理想論だけなら、私でも言える その具体論が欲しい)○梅原 中国との友好と日米同盟が矛盾しないことを政策の基本にすべき■ (alex これまた、理想としてはそうだが、政治家と日本国民は、その各論を求めて行くべきだろう)○五百旗頭 日本は、戦前の極端な戦争好きから、戦後はその反動で、自衛のためでも(戦争は)いけないという度を越した戦争嫌悪へと、極端から極端に振れた■ (alex GHQの思想改造が功を奏したとも言える)○五百旗頭 最近は、感情的・排他的なナショナリズムの気運■(alex 確かにその風潮がある 特に若い人たちの間の、嫌韓・嫌中は歴史的な学習の上と言うより、戦争ゲームの感覚のように思える では、私はどちらかというと、私も、嫌韓・嫌中の気味がある)寛容な多神教にならう = 梅原米政治の復元力に期待 = 五百旗頭================○朝日 米国の力が突出した一極構造が国際社会の不安定要因になっていませんか○梅原 近代欧州を指導した文明の基本思想は二つあるひとつは「人間が自然科学によって自然を認識し支配する、デカルトやベーコンの人間主義」もう一つは「ホッブスに代表される国家主義」米国はこの二つの思想を信じて豊かで強い国を作ったこれに対し欧州では、それらへの反省が出て来ている人間中心主義への反省から環境問題に熱心になりまた国家主義への反省から、「民主主義国が持つ理性によって戦争は避けられる」と主張したカントの思想の流れをくむ国連を重視し、独仏はイラクへの武力行使を認めなかったカント的な考え方は、近代を超えた「超近代」思想につながってゆく■ (alex ちょっと独仏を買いかぶりすぎではないかな? 欧州のイラクへの不参戦には、もっと現実的な利害が背景にあったと思う)○五百旗頭 米国は振幅が激しい ブッシュは9.11で立ち上がり、アフガン・イラク攻撃にまで至り、過剰反応して、不正確な力の行使に傾いた 今後の世界はその負債に苦しむことになる■(alex 同感 特にイスラム社会全体を敵に回した どうしてくれるんだ?)○朝日 どうしてブッシュはカント的になれないのか?○五百旗頭 ナショナリズムの勃興でしょう キリスト教保守派の内向きのナショナリズム それでもって世界を作り替えようと言う使命感がある○梅原 米国の農村にはキリスト教が強い キリスト教には一神教に特有な排他性があり、それはカトリックよりプロテスタントの方が強い その(キリスト教的)原理主義が好戦的思想になり、イスラム教原理主義とぶつかり合っている宗教が平和をもたらすのではなく、宗教が平和をけ飛ばすという皮肉な状況になっている■ (alex 同感)○朝日 日本の仏教が力を失ったのはなぜでしょう?○梅原 明治初期の廃仏毀釈の影響が大きい 神と仏を切り離して、仏を殺したら神も死んでしまった 代わりに国家を神としたが、敗戦で否定され、神が無くなった一神教の排他性が戦争を起こしている今、寛容な多神教の意義をもう一度見いだすべき■ (alex 同感 日本の神道はもとは、アミニズム 一神教に支配される世界は怖いというのが私の考え方)義理・人情 首相は混同 = 梅原他国の尊厳も大事に = 五百旗頭===============○朝日 ナショナリズムにどう対処すべきか?○五百旗頭 開かれたナショナリズムであること 世界の現実は相互依存 他国の尊厳も大事にしないと良好な関係は持続できない靖国神社は国際問題であることを逃れない日本人は隣人の尊厳を損なったことに無神経になってはいけな○梅原 靖国神社というのは日本の神道の伝統ではない出雲大社の要に、征服された敵方を、味方よりも大きな神社でまつると言うのが伝統です■ (alex これはどうかな? 梅原さんの持論では、出雲大社や法隆寺は、それぞれ大和民族や藤原氏が、滅ぼした出雲族や聖徳太子一族の怨霊の仕返し・恨みを恐れて建立したのではなかったかな? 目的がちがうのでは?)○梅原 靖国神社には戦争の反省がない 隣人の気持ちを考えるのが義理です 小泉首相はあれほど歌舞伎を鑑賞していながら、義理と人情の別がわかっていない■(alex 確かに靖国神社は、伝統の神社とは性格を異にする 反省がそこにないというのも一理ある やはり、神道と切り離して、西洋的な無名戦士の墓のようなものを新たに作るのがいいかもしれない)○梅原 ソクラテスは本当のことを行って殺されたが、弟子のプラトンがソクラテスの死を深く考え、哲学を樹立した 何を言われようが、正しいと思ったことを言い続けることが必要です それが種となり、やがて必ず実を結びます最終更新日 2005/01/24 04:18:21 PM ―――― ◇ ――――以上が主文である以下は、この本文につけた自己コメント■ 「自己コメント NO.1」私はときどき、こういう時事的、政治的なテーマで書くが、本当のことを言って、こういうテーマを書いていて、自分でいい気はしていないのだ本当か? と思う人が多いかも知れないが、本当だ時事問題というテーマはそれ自体「問題」であることが多い問題があるから、何とかならないか?人がもっと関心を持ってくれて、その人々の行動が波となって、より良い方向に向いてくれれば・・・と言うのが基本的な発想・動機だそれに、こういうタッチーな問題は、賛成意見もあるが、反対意見も多い必ずしも穏やかな話し合いで済むとは限らない私だって、人との激しい議論や意見の対立は快いはずがないしかし、それでも思わず書いてしまう反対意見というものは、それなりにハッキリしているのだから、それもいいとも言える私が腹立たしく思うのは、いわゆる無関心層だどうしても中立の意見だという人もいるかも知れないが、政治は政治家にまかせながら、すべては政治家が悪いからですませるような人たちだ戦前の日本軍部の独裁暴走は、彼らだけが悪いと言うより、それを許した一般国民の罪の方が深刻ではないだろうか?このごろは満州事変直前の空気(ナショナリズム)と似ているとまで言い、大いに怖がる平和派が多いが、彼らはそれほど今の日本国民を信用していないのだろうか?政治意識が高まるのなら、メディアのあり方へのリテラシーが高まるのなら、番組偏向・番組改変疑惑などの問題がバンバン起こってくれてもいいとさえ、私は思っている■ 「自己コメント NO,.2」>戦前の日本軍部の独裁暴走は、彼らだけが悪いと言うより、それを許した一般国民の罪の方が深刻ではないだろうか?当時はまだ、国民主権の憲法ではなかったし、まだ植民地主義の風潮を引きずっていて、国民の意識が成熟していなかったということは言えると思うただし、それであれば、国民主権の社会の国民は、それなりの責任を持たなければ行けないし、歴史に学ばなければいけないと思うそれも「現実感覚をもって」・・・の事だと思うバルカンがよく「火薬庫」と言われたが、今の東アジアも立派に「火薬庫」だと思う