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日本人と中国人のちがい 欧風庭園と日本の名庭【復刻日記】 NHKラジオで、孔子の子孫だという孔さんの談話があった その中で日本人と中国人との対比をされていて興味深かった ―――― ◇ ―――― 孔さんによると ○日本人は ・・・・・・・・ 不安定さを好む 奇数をこのむ いびつさをこのむ 変化を好む 重複が嫌い 新しい自動車のモデルが好きで、しょっちゅう新型がでる 侘び・寂びが好き 緑が好き 水が好き 山が多い 涼しさが好き 豊富な自然環境を持つ 清浄の感覚=水=禊ぎ=わびさび ごてごては嫌い 簡素が好き 中国の胡弓のひとつである楽器・二胡を聴いてわびさびを感じる 絵などでは余白そのものを好む 小さい急須など小振りなものが好き 茶道を「心構え」と心得る ○一方、中国人は ・・・・・・・・・・・・・・・・ 偶数を好む 安定を好む 中国の画にも余白はあるが、そこには詩歌を書き入れる 明晰な表明を好む 具体的な事柄を好む 中国の茶道は「茶芸 ちゃげい」と言い、作法ではなく、純粋に味覚・香りを楽しむもの 香りや色で、心が浄められると思う ―――― ◇ ―――― その民族の「思考」「心象」が如実に表れるのが「庭園」だと私は思う 私はフランスの「ロワーヌ河の古城めぐり」というツアーで数日にわたってロワーヌ河畔の古城の庭園を見て廻ったことがある その時、城に付属した庭園を見たが、西欧の庭園は皆シンメトリー(左右均等)で、人工的なただただ幾何学な模様である 樹木をクリアカットに刈り上げて幾何学的模様を作り上げているだけである 自然を模したものでもなければ、樹木に対する盆栽的な愛着も感じられない 私はこういう庭園群に魅力を感じなかった 私には日本庭園のたたずまいが濃く擦り込まれているらしい 欧州の他の国で見た庭園も基本的には、フランス式庭園と同じだった 例外は、英国の庭園で、かなり自然で人工的な幾何学的な特徴は少なかった と言っても、日本の有名な庭園のような自然を模した、ミニチュアのような、象徴性に満ちた、多彩な芸術的な、哲学的なものでは無い ただ、素朴な自然がそこにあるというようなものである 中国の昔の庭園とはどんなものなのか? テレビで留園などの庭園を見るが日本の庭園にかなり似ているが、日本の庭園ほど簡素で凝縮したものでは無い しかし、間違いなく日本庭園の手本となったものだろう ―――― ◇ ―――― あるサイトから、中国の四大古典庭園というものを引用する 中国の四大古典庭園 ・・・・・・・・・ 中国の四大古典庭園はすべて世界遺産に登録されています。 中国の庭園は大きく分けて、皇帝所有の大規模自然庭園と、貴族、官僚、豪商などの私邸庭園の別があります。 四大庭園のうち、庭園の町・蘇州にある二つは後者ですが、残りの二つ(北京と承徳にある)が前者にあたります。 1 頤和園頤和園(いわえん)は、北京の西北部に位置する庭園公園。1750年に離宮として整備されたが、1860年のアヘン戦争で英仏連合軍によって焼き払われました。 1750年建設開始、1886年には西太后に... 2 拙政園拙政園(せっせいえん)。蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つにもなっています。拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格です。中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園と言えましょう。 ... 3 避暑山荘承徳避暑山荘と外八廟(しょうとくひしょさんそうとがいはちびょう)は、中国河北省承徳市にある離宮です。 避暑山荘は清の皇帝が沈陽に抜ける際、立ち寄る場所として87年にわたり整備された離宮です。この... 4 留園蘇州四大名園の一つである留園は、拙政園と並ぶ蘇州庭園の最高傑作です。留園は拙政園より小さいですが、構成が緻密で景観が変化に富んでいます。さまざまな要素の間にバランスよく取れており、気品も高いと非常に高... ・・・・・・・・ 各項ともに途中で途切れているが、オリジナルがしてそうなのでしかたがない >中国の四大古典庭園はすべて世界遺産に登録されています。 日本の有名庭園で世界遺産に登録されているものはあるのだろうか? 調べてみないとわからないが、どうも無いように思える やはり中国の方が欧州の感覚に近いからかも知れない 日本の庭園の哲学的な思想、盆栽に通じる小世界が理解されにくいかも知れない ―――― ◇ ―――― >日本人は >不安定さを好む >奇数をこのむ >いびつさをこのむ >変化を好む これらがよく現れているのが、日本の食器などだと思う 以前の日記にも書いたことだが、西欧の食器は、ディナーセットと決まっていて、その形は定型である 例えば、ウエッジウッドとか、そんなに高級食器でなくても、セットで売っている 日本にも対抗できるノリタケ・チャイナという世界的ブランドはある 大きなスープ皿に大皿・小皿、コーヒーカップなどで構成されているのが定型のセットである そこへゆくと、日本の食器は、決まったセットなど無く、無制限に融通無碍(ゆうずうむげ)である まるで宇宙のようなものである 形状もそうだが、色も絵付けもノー・ルールである 素人がお遊びで窯で焼いても立派に食器になる 旅先の沿道の土産夜で買った食器も実用に付される また、日本食そのものが、もう伝来の和食からスピンアウトしてしまっていて、世界各国の料理をどん欲に鯨飲・馬食?風にかたっぱしから取り込んでしまって、日々に変化・拡大?してしまっている 例えばカレーや中華料理やほとんどの西洋料理は、もうすっかり日本料理になりきってしまっている 動物学で言えば、擬態のようなものである その全世界の料理を取り込んだ現代の「超日本食」に対応しなければならないのだから、日本食器も大変?である ますます無秩序に、楽しく、肥大・拡大・膨張を続けているのが和食器である 中でも、織部焼きの絵付けなど、宇宙人が描いたものとしか思えないような発想である それに織部の中には中東で見た古い陶器の絵付けと似たものがある 織部という武将、人物は日本の美意識からスピンアウトした偉大な芸術家だと思う お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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