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2019.11.27
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​日本がアメリカ領であるアリューシャン列島(アラスカ州に属します)のキスカ島とアッツ島を占領したのは、昭和17(1942)年6月のことです。​
このアリューシャン作戦は、一般的に「ミッドウェー作戦の陽動」と呼ばれていますが、事実はちょっと複雑です。
​元々アリューシャン方面に、空母隼鷹と龍驤からなる二線級の戦力(隼鷹は商船改造の空母で就役して間もなく、乗員・搭乗員とも訓練が不十分しでした。龍驤の方は軽空母で歴戦の空母でしたが、零戦の数が充足しておらず、まだ九六艦戦も搭載されていました)で牽制攻撃をかける案は、早い時期から立案されていたものでした。​
​これは当時、アメリカ領と日本領の一番近い場所でしたから(アリューシャン諸島最西端アッツ島と、当時の日本領最北端である千島列島占守島との距離は約1千kmです)、特に陸軍は北からの米軍の攻撃を警戒していました。​
​そこで海軍は、主に陸軍の要望を取り入れて、ダッチハーバー空襲だけで終了予定だった作戦に、アッツ島とキスカ島占領確保を作戦に加えました(そんな中、ミッドウェー作戦が急きょ立案・決行となり、アリューシャン作戦はミッドウェーの「おとり作戦」という役割も与えられることになりました)。​
アリューシャン方面に前線を広げて、北側からの侵攻基地を作れないようにしようとしたのです。
​この時期、米軍はアリューシャン方面に大きな守備兵力を置いておらず、機動部隊の空襲と、アッツ島とキスカ島の無血占領という形で、作戦は成功しました(ただし、この作戦で大きな失敗と言われているのが、ダッチハーバー攻撃時に被弾した古賀一飛曹の零戦が、アクタン島にほぼ無傷状態で不時着し(古賀一飛曹は不時着時に、首の骨を折って死亡)、米軍に発見回収されて、修理の上で徹底的に調査された結果、零戦の弱点がすべて暴かれてしまいます。これが零戦の無敵神話終焉と、戦争中盤以降の空の戦いを逆転させる大きな要因になってしまいます)。​
しかし、ミッドウェー海戦の敗北により、アリューシャン方面の状況は大きく変化します。
まず大本営は、ミッドウェーの敗北を隠すためにも、大々的に戦果を発表し、戦略的な撤収が困難になりました。
現場サイドでは、アリューシャンが予想以上に嵐と濃霧に覆われる難海域で、米軍の日本本土への大規模な侵攻基地がそもそも難しいこともわかり、補給が困難で、占領維持が難しいことから、占領部隊を撤収させる案が出ましたが、敗北を隠すためにもそれが出来なくなってしまったのです。
また、陸軍と海軍の意識の違いも表面化します。
陸軍は、両島の維持は困難と撤収を主張しますが、海軍が逆に撤収に曖昧な態度をとるようになります。
これはミッドウェーの敗北を隠すとだけでなく、この頃ガダルカナル戦が始まっており、米軍の一部を北に引き付けておける存在として、アッツ島とキスカ島の存在に注目したからです。
​結局、海軍は両島防空のため戦闘機1個航空隊(約48機)を派遣し、補給や米軍来襲時は、陸軍部隊の増援部隊輸送を行うことを確約したため、陸軍は占領維持に同意し、陣地構築よりも飛行場建設を優先させることに同意することになります。​
・・・実はこの時、海軍はガダルカナル戦の激化に伴い、戦闘機隊派遣もいざという時の増援部隊輸送も実施不可能になっていたのですが、その事は陸軍には隠されました。
つまり先の合意は、少しでも米軍部隊を北に引き付けておきたいという海軍側の打算からの空手形だったのです。
それが後日のアッツ島守備隊玉砕の悲劇へとつながっていくことになります。

とまぁ、そちらに話を進めていくと別の話になってしまうので、この辺にします。
日本軍が方針が決まらずにもたもたしている間に、米軍はダッチハーバーからアッツ、キスカ両島への空襲を強化する一方、9月には両島の目と鼻に先にあるアダック島に進出して航空基地を建設して、完全に航空優勢を確保しました。
これにより日本側は、部隊を撤収させることも、補給を円滑に進めることも難しい状況に追い込まれていきます。
​​日本側は8月アッツ島を放棄し(アッツ島再占領は10月になってから)、キスカ島に戦力を集中させる一方、飛行場の設営を開始しましたが、物資の不足と設営力不足(米軍がブルトーザー等の建設機械を持っていたのに対して、日本は人力でした)、米軍の頻繁な空襲もあり、遅々として進みません。​​
キスカ島には、占領直後から水上偵察機が配備されていましたが、当然敵爆撃機の迎撃には使える機材ではありません。
​そこで海軍は、水上戦闘機一分隊(定数は12機)を派遣することに決めました。7月5日、水戦隊指揮官山田七九郎大尉率いる第一陣、二式水戦6機がキスカ島に進出しました。​
これで徒手空拳だったキスカ島守備隊は、ようやく反撃できる機材を手に入れました。
二式水戦隊の初出撃は7月18日で、B17爆撃機3機を迎撃し、1機を撃墜し、さっそく初戦果をあげました。
​米軍側は(水上機とは言え)戦闘機が進出していることに気が付かず、油断して不意打ちを食らった形です。​
​8月5日には残りの6機もキスカ島に到着し、同島に駐留する水上機隊は、第五航空隊(11月1日に第452海軍航空隊に改称))として編成しなおされました。
こうして形を改め防空任務に就きました。​
この頃、キスカ島に来襲する米軍機は、単機もしくは数機による空襲が多かったようです。これはアダック島の航空基地がまだ未完成で、戦闘機の護衛をつけられ無かったことと、濃霧と荒れた天候のため、出撃機会が多くなかったからです。
両軍の激しい空戦が展開されたのは、9月15日のことで、アダック島の航空基地が完成し、戦闘機の護衛をつけられるようになってからです。
B24爆撃機12機、P38とP39戦闘機28機からなる大編隊で、キスカ島占領以来はじめての大空襲でした。
この日迎撃した二式水戦は4機で、P38を2機撃墜したものの、二式水戦3機を失いました。
戦果だけを見ると、二式水戦の完敗に見えますが、時速435kmしか出ない二式水戦が、時速600kmを超すP38を2機、捕捉撃墜できたことは、大健闘と言えるでしょう。
その後の規模の大き戦いが発生したのは12月30日で、上空を哨戒していた二式水戦2機が、偵察飛行中のB25爆撃機1機とPBY飛行艇1機を発見してこれを撃墜し、さらに哨戒飛行中のP38戦闘機7機と遭遇、空中戦になりました。
​さすがに多勢に無勢で、二式水戦2機は途中で戦闘を切り上げて逃げ出して戦いは終わります。
この時米軍側は2機のP38を失っており
(日本側の記録では、P38の撃墜報告はありません。命中弾を与えたことまではわかっていても、撃墜できたとは思っていなかったようです)、実は二式水戦隊会心の勝利の日でした。
昭和18(1943)年になると、米軍はキスカ島から130kmの距離にあるアムチトカ島にも進出、基地化を始めました。二式水戦隊は、同地に錨泊する米艦船に対する銃爆撃にも駆り出されます。
60kg爆弾しか搭載できない二式水戦の攻撃では、艦艇の撃沈など出来るはずもありませんが、使える機材が他になかったのです。
このように二式水戦隊は、善戦し続けますが、戦局は徐々に悪化し続けました。
補給状況が悪く、機材の補充が難しい上に、戦闘での消耗とベーリング海の荒波による破損で、稼働機がゼロになってしまったのです。
3月には、452空の活動は停止状態になりました。アッツ島とキスカ島は、米軍の完全重包囲下に陥り、両島は連絡の行き来も出来なくなりました。
​これを受け、キスカ島から搭乗員の撤退が始まりました(名目上は、戦力再編のため)。この頃は水上艦艇・船舶で両島に接近することも不可能になっていたため、潜水艦を使った補給物資輸送の帰りに、乗艦させる形です。​
そして5月12日、米軍がアッツ島に上陸し、日本のアリューシャン方面の戦いは最終局面を迎えることになりました。
​​5月29日、アッツ島守備隊は玉砕(2,667名の内、生存者は28名)、キスカ島守備隊は7月29日に撤退(米軍の包囲下にあるにもかかわらず、全将兵が無事に撤退出来た「奇跡の撤退」として有名です)し、アリューシャンの戦いは終わりました。​​

キスカ島の二式水戦隊は、進出した12機すべてを失い、搭乗員10名を失いましたが、撃墜17機、不確実撃墜6機の戦果を挙げて、活動を終了しました。
そして452空は、今度は千島列島最北端、占守島で、米軍と戦うことになります。





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Last updated  2021.02.03 21:41:36
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