先ほどGoogleで「江夏の21球」を検索してみた。するとwikipediaに次いで「あま野球日記」が2位にランクインしていた。ま、今どき30年前のネタを長々と書く人などいないということが理由なんだろうけど、2位になったことを記念して、いったん「江夏の21球」について書いたメモをまとめておきたい。まだまだ情報が少ないので、これからも書籍を買ったり、図書館で探したり、古本屋に行ったりして、さらに情報を集めたい。
■まずはこれまで書いた計17本の記事を以下にまとめてみた。
【近鉄・西本幸雄監督の視点、もしくは関連】
1)「打てのサインなのに打たないから、スクイズ」江藤省三と西本幸雄の明暗~またも「江夏の21球」のこと~石渡茂vs水沼四郎、江夏豊vs平野光泰
2)西本幸雄監督のスクイズの苦い思い出~1960年日本シリーズ
3)1960年、大毎・西本幸雄監督のスクイズ失敗と、佐々木信也との確執?
4)「江夏の21球」~西本幸雄監督が9回裏無死満塁で考えていたこと
5)1960年日本シリーズ、「野球は心理戦」~勝った三原脩、敗れた西本幸雄、そして最後に現代版の「野球害毒論」
【広島・江夏豊の視点、もしくは関連】
6)「江夏の21球」野球の面白さすべてが詰まった試合~江夏豊vs古葉竹識~東京国際大優勝?
7)江夏豊自身が語る「江夏の21球」
【広島・水沼四郎の視点】
8)江夏の、いや「水沼四郎の21球」
【近鉄・佐々木恭介の視点、もしくは関連】
9)「江夏の21球」~佐々木恭介「もう1回何がしたい言うたら、あの場面がしたい」
10)福留孝介と、近鉄を蹴った男たち
【近鉄・石渡茂の視点】
11)「江夏の21球」を演出してしまった、石渡茂のスクイズ失敗
12)思いだす、江夏の21球
【その他関連記事】
13)東京国際大・古葉竹識監督と法政大・金光興二監督の過去の関係~広島・古葉監督が金光選手のその後の人生を変えた?
14)斎藤佑樹の真価と「江夏の21球」、そして安藤統夫の証言
15)名アナ・島村俊治さん
16)ヤクルト早大人脈とヤスダくん
17)明暗分けた三塁線の打球
■分類した方法は正直言って難があるけれど、あらためて読み直してみて、面白いなと思うこと、また勝手に想像を巡らしたことがある。それは、
A)西本さんの監督としての「強み」と「弱み」をもっと知りたいな、と思うこと。8度日本シリーズに出場して一度も優勝できなかった理由とは?
B)人と人のつながりが、この「江夏の21球」にもいくつかある。これは面白い、もっと調べたいな、と。
a)広島・水沼四郎と近鉄・石渡茂は中央大時代のチームメイトだったこと
b)広島・江夏豊と近鉄・平野光泰は高校時代に対戦し、平野がランニングホームランを 打っていたこと
c)(記事にはまだ書いていないが)広島・江夏豊と広島・水沼四郎は報徳学園高のセレクションですでに出会っていたこと
ほかに「江夏の21球」には、どんな人間関係が隠されていたのか???
C)現・法政大の金光興二監督が1977年のドラフトで近鉄から指名され拒否したが、もし近鉄に入団していたら、近鉄のショートを守っていたかもしれない。もしそうなら、石渡のスクイズ失敗はそもそもなかった・・・。逆に熱望していた広島に入団して、三塁手を守っていたら、佐々木恭介の打球にグラブが触れていたかもしれない・・・
D)1979年の日本シリーズは「江夏の21球」だけが有名だけど、1戦2戦に連勝した近鉄がなぜ7戦まで戦う羽目になったのか、もっと早く決着をつけることはできなかったのか? 等々
まずは、第1弾のまとめ終了ということで。
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