ジョー山中
朝日新聞のbeという土曜日の別刷りに、「逆風満帆」という記事がある。確かそういうタイトルだったと思う。3回連続くらいで、いろんな世界の著名人(じゃない人もいるみたいだが)が、いかにして何かを成し遂げたか、そこまでにはいかなる苦労があったか、みたいな、まあ「いつ見ても波乱万丈」新聞版みたいなやつである。 それにジョー山中が出てました。出てました、というといかにも知ってそうだが、実は最初誰だかわからなかった。「Mama, do you remember~」の人だというので、ああ、と思ったのだ。「人間の証明」の歌の人である。といってもやっぱり、実質的には知らないんですが。 ただ、びっくりしちゃったのである。こんなに苦労というか被害というか、これでもかこれでもか的に辛い目に遭った人も、そうそういないんじゃないだろうか。 実を言うとこれ書いているのは、その記事を読んでからものすごくあとなので(タイトルと出だしだけ書いて、それきり放っておいた)、細かい事件は忘れてしまったのだが、とにかく逮捕されるわ(まあ、逮捕そのものは仕方なかったとしても…)だまされるわ金は盗られるわ返してもらえないわ、みたいなことが次々あったようである。しかも信頼してた人に裏切られたと。 記憶として残っているのはその細かい事件じゃなくて、ジョー山中さんがそういったことを恨んでいない、少なくともそう感じられる、ことであった。 もらえなかった金は今さら請求しない。返ってこない金のことは考えない。人を恨んでも仕方ない。 これだよなあ、と思ったのである。 私もこれで行こう、と思ったのである。 いや、動く金の額はまるっきり雲泥の差なのだが、私にも返ってこない、入ってこない、金というものがあるのだ。やっぱりそういうのは悲しいむなしいもんである。 出来高払い商売をするようになって結構たつのに、いまだに契約交渉というものがうまくできない。友人知人からいろいろ助言お小言いただくのだが、やっぱりこういうのは向き不向きがあるらしく、どうも駄目なのである。 そのため、これまで何度か(何度も?)、いただくべきお金を取りはぐった。 金には恵まれないが頼りになる友人には恵まれているため、それはいかんということであれこれ力を貸してもらったりもする。弁護士まで紹介してもらった(そのときその方から、「権利というものは行使しなければ権利になりません。権利の上に胡坐をかいているだけでは権利の意味はないんです」といわれたことがいまだに記憶に残っている)。 イギリスの友達など、わざわざ「手紙の例文」まで書いてくれた。一通目、一応優しく、まだ振込みがありませんが云々。二通目、少し口調を変えて、期限も定め、xx月xx日までに振込みがなされていない場合、こちらにも考えがあります云々。三通目、何のご連絡もございませんので、法的処置をとらせていただきます。 ・・・すごい! と、それはそれで感心したのだった。さすが欧米、契約社会は違う(といってもイギリスはアメリカほどじゃないみたいだが。その例文を書いてくれた人も被害経験者なのであった)。 だが。日本に戻って私がそれをしたかというと… へへへ。 駄目なのである。 まずひとつには面倒、というのがある。 あとはやっぱり、金のことをいつまでも言うのは…みたいな、妙な引け目にも似たものがある。これは親の影響がかなりあるように思う。なんたってうちの母なんか、これはまた別の件だが、「事故にあったと思ってあきらめな」と言ったくらいである。(ちなみにこのとき「あたしが電話してやろうか?」と、ずずいと出てきたのが姉であった。) でまあ、常に泣き寝入り状態であったわけで、それはそれで忸怩たるものというか、やっぱりこれじゃ駄目だよな、とも一面では思っているわけだった。人から「駄目だよそんなんじゃ~」といわれれば、さらに「そうだよ、駄目だよ」と思うのであった。 だが… 今に至るも駄目なままである。ということは、やっぱりこういうのには性格が影響するんでしょうね。駄目な人は駄目なりに生きていけばいいのでしょうね。 と思ったのは、ジョー山中以前にもちょっときっかけがあった。これはお金の問題ではなくて、単にクレジットのことなのだが、まあ名前を落とされてしまった、忘れられちゃったのだった(これも何度か/何度もあることではあるんだが)。でそのとき、割と自分が大変な時期に引き受けた仕事であったため、かなりがっくり度が高かったのだ。 そこへたまたまある先輩からメールがあったので、返信に「(泣)」話を書いたら、「それは言わなきゃ駄目でしょう!」と。そうか、そうですよね。―この辺が、ほんとに自分の意思・意見がないというか、何か言われればそっちに傾くのである。 で、メールで何気に言ってみた。するとなんと、わざわざお電話がかかってきたのであった。そうするとびびるのがこれまた情けないが、そんなに謝ってもらうつもりはなかったのである。じゃあ何が望みで指摘したわけだよ、と言われそうだが、その辺も実のところ深く考えてはいないのだ。ほんとにここがいけない。先を読んでない。こうなったらどう来るかを考えるのが大人だろう。・・・とは思うんだが・・・ ともあれ、そこでまた落ち込んでしまったのであった。謝らせるなんて、なんて偉そうな… 言わなきゃ良かった… はいはい。馬鹿です。馬鹿ですって。馬鹿だが実際、かなり沈んでしまったのでした。沈んだときには髪を切る、というわけでは全然なくて、たまたま予約していたんだけれど美容院に行った。 なんか仕事の話になったのでついその話をしたら、「まあね、そういうときって大体みんな、"言うべきだ"とか"怒らなきゃ"とか言いますけどね、言って後悔するのなら、言わないほうがいいですよね」と。 そうだよね。…とまたここでぶれるのであった。さらに沈んだ。ほんとにもう情けないが、でもどちらも正しいのである。選ぶのはその人の意思でいいわけである。あ、そうか、意思がないから問題だったんだっけ。 で、ここでやっとまたジョー山中さんに戻るわけだけれど、ジョー山中さんは「権利行使」をしないほう、を選んだ。訴えるとかしなかった。でも今幸せそうである。 こっちだろうな、と。じゃあこれからもただ働きで、といわれては非常に困るのだが。それはお許し願いたいのだが。でも、そういう人は避ければよいのである。あんたにそれを見極める目があるのか、と言われたらまた黙ってしまうので、永遠にこの話は終わらなくなるんだけれど…だが近年、悪い人には出会っていない気がする。いや悪い人というと言い方が悪いな。悪気はなかったのかもしれない。ルーズな人とか。忘れっぽい人とか。私は忘れられた人… いやそういう話ではなく。 だけどジョー山中さんには声があり、やりたい道がはっきり定まっていたのだった。ぼられた額も大違いだが、その辺もかなり大きな差である。ここもまた、かなりの問題であった。 そしてジョー山中のフラワー・トラヴェリン・バンドは、今年のフジロックに出たそうである。すごいな。人間いつでも復活できる。・・・何を慰めてるのかよくわからんが。 そしてよくわからんが感銘したまま終わるのであった。人生そう悪いもんじゃ、ありません。たぶんね。