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2020.01.27
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2015年08月20日
18 自分のルーツたどる
 詩人の田村さと子さん(新宮出身)  (本出版に向け )

 帝京大学図書館長で詩人の田村さと子さん(新宮市出身)が15日、熊野市文化財専門委員で作家の中田重顕さんの案内で御浜町志原の黎明(れいめい)が丘跡地などを訪れた。田村さんは来年中にエッセー『新宮物語(仮称)』を出版する予定で今回は取材を兼ねて故郷を巡った。

 田村さんは熊野市飛鳥町大又にある山林地主だった祖父・二代目池田忠寛の墓を参った後、町内の池田家屋敷跡を見学。広い敷地を高い石垣で囲んでいて、近くに住む住民が、かつて裏山にはモモ、カキ、ウメなどの果樹園があり、テニスコートがあったことなどを話した。

 続いて町内に約60年前に移築した母屋を見学。当時の大工の高い技術力と細かな装飾に関係者たちも驚いた。田村さんは、母親が着物に使っていたチョウの家紋が建具に彫られているのを見て感慨深げだった。

■黎明が丘との縁



 作家・武者小路実篤(1885~1976年)は宮崎県に理想郷「新しき村」を建設した。中田さんによると、黎明が丘は木本町(現在の熊野市木本町)の牧師・宇都宮米一が仲間たちと一緒に建設した日本で2つ目の「新しき村」で、新宮の西村伊作、玉置酉久のほか、田村さんのおじにあたる三代目・池田忠寛も建設に関わっていた。今は一面みかん畑になっている。現在の土地所有者が、かつて建っていた洋館などについて説明した。

■中上健次とマルケス



 母校の神倉小学校(旧千穂小学校)の校歌を作詞している田村さん。ノーベル賞作家のガルシア・マルケス(1928~2014年)と親交があった数少ない人物として有名で、著書『百年の孤独を歩くガルシア=マルケスとわたしの四半世紀』を出版している。

 親交のきっかけを作ったのは、小学校から高校まで同級生だった芥川賞作家・中上健次(1946~1992年)。ラテンアメリカ文学を研究していた田村さんに中上が「マルケスと会わせてほしい」と頼み、連絡をとったという。結局、中上はスケジュールが合わずマルケスに会うことはできなかった。

 田村さんは次回出版する本について「自分が育った新宮は霊的なものを信じる地域だと思います。本では大逆事件や黎明が丘、中上健次君のことなどにも触れることになると思います」と話していた。

(2015年8月20日付紙面より)






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Last updated  2020.01.27 11:53:29
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