薬剤性境界例・・・品川心療内科センセ
境界性人格障害(borderline personality disorder,BPD)がDSM.III(1980 年)で登場して以来,その概念は精神分析理論にもとづいた時代に比し,その記述臨床的診断基準(表1)1)によって多くの臨床家に比較的よく理解されるようになった。その典型例についての診断の一致率は相当に高いものが期待できる。しかし,BPD にはI 軸の疾患とのcomorbidity が少なくないことが知られており,とくに気分障害が併存していることが多い2)。そのような場合の診断については現在でも混乱を極めているといってよく,学会などで格好のdebate のテーマにもなるほどである。気分障害では大うつ病,気分変調症などの(単極性)うつ病性障害とのcomorbidity や鑑別診断も容易でないが,頻度も多い双極性障害,とくに双極II 型障害(bipolar II disorder,BP II)との鑑別が最近のトピックになっているといえる。Akiskal ら3,4)が,BPD と診断された多くの患者が,じつはBP II や気分循環症などの併存も含めたBP II スペクトラムであると主張してから,一時は確立されたかにみえたBPD の診断にも揺らぎがみられるようになってきているからである。BPD の診断の妥当性を明確にする研究は数多くみられる。やや古い報告ながらGaviria ら5)は,BPD を併存する双極性障害と,併存しない双極性障害の比較研究で,BPD を併存する患者は子ども時代や思春期での精神症状が多く,低い学業成績,子ども時代の離別体験が多いことを指摘し,感情障害の発症や精神病症状の多さにも言及している。精神分析学派でつとに論議され指摘されてきた分離・個体化の段階での障害などとの関連で,不幸な養育環境がBPD で多いことは,診断において一つの重要な傍証となることは事実であろう。また,BPD と人格障害のない双極性障害を対象としてCloninger の人格検査などを用いた比較研究6)では,双極性障害群は正常得点であったのに対して,BPD 群は損害回避,衝動性,無秩序性で得点が高く,自己志向,協調,固執で低得点であったと,性格・気質面での差異が強調されている。Sanislow ら7)は,BPD が有する以下の三つの要素について,その存在を検証している。①不安定な対人関係,同一性障害,慢性の空虚感とストレスに関連した妄想的観念,②衝動性と自殺や自傷行動などの行動上の不統制(behavioral dysregulation),③感情不安定,不適切な怒りや見捨てられることを避ける感情的不統制(affective dysregulation)。Zanarini ら8)は,気分障害と不安障害を含む感情障害と,物質使用障害や摂食障害などの衝動コントロール障害という複数のI 軸疾患を長期間にわたって示すことが,BPD 診断の感度と特異度を有意に強めるとしている。この結果はBPD 診断の妥当性を示すとともに,I 軸疾患との近縁性および横断的診断の困難と縦断的診断の必要性を示唆するもので,BPD を人格障害とよぶより,疾病と考えるべきとする一部の主張9)に多少とも根拠を与える結論にもなっている。その一方でこの研究は,BPD 診断がcomorbidity への考慮抜きには成立しないことも明示していよう。BPD のcomorbidity文献的にはBPD の30% 前後の頻度で双極性障害がみられるとするものが多い。Akiskal ら10)は,外来BPD 患者100 例のうち7 例が気分循環症で17 例がBPII であり,I 軸障害のなかでは感情障害が最も高頻度であるとしている。彼らはさらに,追跡期間中にBPD群は対照群よりも有意に多くの患者が躁状態や軽躁状態を呈したとしている。逆の観点から,双極性障害の患者で最も多い人格障害はBPD であるとされ,演技性,反社会性,自己愛性人格障害といったクラスターB の人格障害がそれについで多いとされる11)。したがって,BPD と双極性障害は,相互交通的に高いcomorbidity をもつものということができる。ただし,Magill 12)がいうように,両者が真のcomorbidity として現れているのか,一つの障害の変異したものかは,なお慎重にみていく必要はあろう。ちなみに単極性うつ病と人格障害のcomorbidity について触れると,回避性,依存性,強迫性人格障害が多く,BPD は最多でない報告が多い13)。とくに,対象が高齢になるほどBPD の割合は低下し,0% という報告もみられる。ただし,入院例に限ってみると著増して,53% という高頻度の報告もみられる13)。そのような報告では演技性人格障害もBPD についで多いことから,うつ病の入院治療の経験者なら稀ならず経験する入院環境での退行が関係した,とくに若い女性のうつ病のボーダーライン化が調査結果に影響を与えている可能性がうかがえる。BP II は,一つ以上の大うつ病相(既往)に一つ以上の軽躁病相のある双極性障害で,DSM.IV(1994 年)から公式に国際的診断基準に登場したが,よく知られているようにDunner らによって1976 年からすでに提唱され14),広く流布していた概念である。I 軸,II 軸ともにcomorbidity が多いことが知られ,診断学上の問題を生じやすい疾病類型としても有名である。Akiskal のbipolar スペクトラム概念(表2)15)の中心であるともいえる。そこでは双極I 1/2 型以下がさらに微妙なスペクトラムであることから,それらがsoft bipolar スペクトラムともよばれるようになってきている。抗うつ薬による軽躁は,DSM.IV ではBPII に含めないが,Akiskal は表2 で双極III 型としているものの,本来は含めるべきだと考えている。また,DSM.IV の軽躁病相の基準は持続4 日以上となっているが,彼らの例は平均2 日であることからその基準に激しく反対し,それより短い軽躁病相もBP II に含めるべきであると主張している。そのような,DSM.IVの基準を外れる経過も含めた拡大したBP II を新たにBP II スペクトラムとよんで,soft bipolar スペクトラムで彼がとくに重視した気分循環症や発揚気質者のうつ病(双極II 1/2 型,双極IV 型)とアルコールなどの乱用で誘発され,とくにそれらの治療後にも気分変動を来たす者(双極III 1/2 型)をそれに含めている。すなわち,BP II スペクトラムには,表2 の双極II 型からIV 型までと,持続が3 日以内の軽躁をもつ大うつ病が入ることになる。BPD との関連では,BP II スペクトラム患者のうち,再発が頻繁で病相間でも感情的に不安定な場合,とくに気分循環症のBP II 患者は,極端な気分変動のためにしばしばBPD と誤診されるとしている。気分不安定がBP II スペクトラムの中心症状であるとして,大うつ病のときからそれがみられれば,将来BP II スペクトラムになる有力な予測因子であると重視している。さらに,気分循環症的で不安と過敏が目立つ気質は,BP II スペクトラム患者が生涯にわたって示す不安障害,気分障害,衝動性障害が複雑に織りなす病像の基礎を成すもので,BPD と紛らわしくするとしている。Ghaemi らのbipolar スペクトラム16)は,Akiskal のものに加えて第一級親族での双極性障害の家族負因,非定型うつ病像,精神病性うつ病像,早発性うつ病,産後うつ病,少なくとも3 種類の抗うつ薬への無反応性などの特徴を加えたもので,いっそう広範になっている。そして広範になるほどBPD の患者がこれらの基準を満たす可能性が増えるという。Deltito らは,BPD の81% が双極性気質,薬物による躁転や双極性障害の家族負因などのいずれかをもつ双極性(bipolarity)の特徴を示したとしている(表3)17)。さらに,ultrarapid-cycling の双極性障害の不安定な気分と焦燥感のある混合状態がほとんど日常的にある場合は,気分障害でなく人格障害,すなわちBPD と診断される危険が大きくなる18)。同様に,BP II でありがちな対人関係での葛藤や二次的な性格変化がBPDと間違えられることがあり,夫婦関係の不和,性的乱脈,仕事の不振やアルコール・薬物乱用などはBPDによるものとされがちだが,BP II などの気分障害の社会心理的障害としても理解できる19)ことに留意すべきであろう。まとめこれまで述べてきたように,その独立性が確立されているようにみえるBPD も,BP II を拡大したBP IIスペクトラムを考慮すると,その診断は慎重でなければならないことが明らかとなる。診断の誤りは治療に直結するだけに重大である。BP II をBPD と考えて薬物療法を手控えることは許されない。気分安定薬の投与が必要だからである。逆にBPD をBP II などの気分障害と考えて抗うつ薬を投与することは,衝動性・不安定性を増加させる危険がある。バルプロ酸などの気分安定薬が有効であることが多い。また,BP II などの双極性素因者に不用意に抗うつ薬や抗不安薬を投与して,“薬剤性境界例”を作らないように注意する必要もある20)。抑うつが強いときには気分安定薬とともに抗うつ薬を慎重に,対症療法的に用いる。両者の鑑別の決め手はこれまで述べたもの以外では,BP II で見逃されやすい軽躁病相を確実に捉えること,抑制中心のうつ病相の着目があげられる。BPDでは見捨てられ不安や慢性的な空虚感が横断像では特異性が高いといえよう。衝動性は鑑別に役立たないことは先にも述べたことから明らかである。長期経過を追えれば正しい診断がつきやすいことはいうまでもないが,日常診療で要求される横断像での診断は容易でなく,鑑別が困難なときcomorbidityを疑うべきであろう。1)American Psychiatric Association. 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