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Can you hear my tears?

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2005.11.20
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    『月は空に深く』
    
    頬に伝う雨を拭う
    何の道しるべもない夜だけれど
    雲の奥深くから
    ぬくもりが注がれていると信じたい


 夢を見ていた。誰にも伝えるつもりのない物語を作っていた。
 すべてを否定して拒絶して、それでも私は、そうまでしても「表現者」だったのだろう。


 小さい子がティッシュペーパーを引き出すのが楽しむように、私が特に理由も目的もなくすぐ包帯を解いてしまうから、看護婦さんは「またか」という顔をしながら何も言わずに包帯を取り替えてくれた。
 雨が降っているせいで、病院の中庭には誰もいなくて、そういう「音」しかない時間が私はとても好きだった。看護婦さんの手首で腕時計の秒針が存在を主張する。
「はい、できました」
 返事を期待していないその言葉を聞いて、私は布団の中に潜り込む。
「あ、そうだ」
 部屋を出て行きかけた看護婦さんが引き返してきて、ベッドサイドのテーブルに何かを置いた。
「これ、さっきこの部屋の前に落ちていたんだけど、違う?」
 答えない私をYESととったのかNOととったのか。看護婦は今度こそ部屋を出て行った。パタンとドアの閉まる音を確認してから、私はごそごそと起き上がる。
(何コレ)
 置かれていたのは、黒いカセットデッキだった。バカみたい。入院中の患者が廊下でこんなもの落とすはずがないのに。
 中に入っているカセットには、何も書かれていなかった。少しだけ悩んでから、私は再生ボタンを押した。


   □  ◇  □  ◇  □


    序章 no-reason


 いつかこのライブが伝説になる。

 Vanish-Plus
 通称、ブイプラ。「イベント荒らし」の名をほしいままにし、着実に動員数を増やしてきたロックバンドだ。その待ちに待った初ワンマンとくれば、盛り上がらないほうが嘘だった。
 ぜってぇ、伝説になる。
 ボーカルの恭哉は、暑苦しくひしめくその空間の中で、そう確信していた。その情熱は、音圧は常識を軽く超え、狭苦しいこの箱を凌駕し、飽和を超えた熱気は雫となって屋根から零れ落ちていた。
 プレスの評価なんて知らない。ただ、浴びせられる歓声と、むせるような蒸気と、腹を穿つこの音が全てだった。
「あぁ……あの……」
 急にMCを振られてギターの大地が、言葉を探す。
 なぁに詰まってんだよ。そんな目で見返した恭哉と、ステージ上で目が合う。二人が同時に笑った。
 汗だくすぎてうまく目を開けてられなかった。薄暗い、あまりにも暗いハコの中で、それでもステージライトはまぶしすぎて、恭哉は満足に客席を見ることができなかった。
「はじめてKYOYAと来たライブハウスがここSILVIAでした。確かその辺……ブッパンのちょっと前あたりからステージを見てたんですけど……こんな風に見えてたんだなぁ、なんて、今思ってます。今日はどうもありがとうっ」
 ブッパンとは、フロア入口にあるCDや次回チケットの販売をするためのスペースのことだ。フロア内で一番暗く見難いそのスペースにいた子達が盛り上がる。膨れ上がるボルテージ。
 ベースの智春が煽る。レスポンスにドラムの雅紀が深く頭を下げた。
「ラスト2曲っ! お前らこんなんで帰る気か?」
 叫ぶ恭哉の声。リハでは気になっていたマイクとモニターのわずかな時差もこの熱狂の渦の中ではまったく気にならない。
「お待ちかねの新曲全部出し尽くしてくんで覚悟あるヤツだけついてきてくださいっ」
 会場全体から自分の名前が届く。ライトの色が変わる。分厚すぎるイントロ。聞きなじみのあまりない曲にも関わらず、オーディエンスはきちんとヘドバンしてくる。うねる波。輪郭が金色に弾ける。
 あまりの気持ちよさについうっかり固く禁止されていたにも関わらず客席にダイブをしてしまい、あとで気が付くと指輪がなくなっていた。客席の中は、ステージとはまた違った暑さで、どこかしこから伸びてきた腕に、腕や髪を引っ張られながら恭哉は歌が始まる直前にステージに帰りつく。引き上げた大地がマイクを通さずに「アホか」と口だけで言う。過呼吸だか酸素不足だか知らないけれど異常に息が苦しくて、そしてとてもシアワセだった。
「アンコールまだ続いてるんですけど、どうしますか?」
 ステージの袖で虫みたいに倒れ込み、肩で呼吸するメンバーにスタッフが聞く。バタバタと動き回っている気配。三度目のアンコール。
「時間は?」
「もっのすごく押してます」
「だよなぁ」
 すごくやりたい。メンバーも会場の客もそれは同じだった。曲も予定していないし、体力もまったく残ってない。カンパケの時間から逆算しても、すでに「まったく」時間はない。ただ……どっちにしろこのありあまる情熱をなだめて帰らせることは困難だろう。唸りのようなアンコールの嵐。
「相変わらず泥臭いライブやってんなぁ」
 SILVIAの若き店長、三宅は悠然と歩いてきてそのスペースのあまりの暑さに笑った。まぁ別に自分が登場した瞬間に感極まったメンバーが抱き付いてくる、なんて想像していたわけではないけれど、まさかこんなに死屍累々とした惨状だとは。
「あのさぁ、三宅さん?」
 大地と智春が口を開くのが同時だった。
「一曲だけであいつら鎮めてこいや」
 懇願される前に答えた店長に雅紀が「さすが」と言って笑った。ライブハウスの店長と仲がいい、というのはこういうときにとても有利だ。「俺、こんなことを言いに来たつもりじゃないんだけどな」三宅は首を傾げながら手近にあったパイプ椅子に座る。彼もまた汗だくだった。関係者席(というものは本来存在しない。PAブースの奥のことだ)で一人場違いに盛り上がっていたのだろう。
「ライト、何もしなくていいから。客電全部点けちゃって」
 SILVIAのスタッフに雅紀が指示を出す。他のメンバーよりもバンド歴が長い分、客がどうすれば盛り上がるか、どうすれば喜ぶかを知っていた。
「湯気が反射して相当眩しくなるぞ」
「だからいいんじゃん?」
 雅紀はありったけのスティックを抱えてステージに上がった。体力の使い方を心得てやがる……まだうまいこと呼吸出来ずにいる恭哉は目で追いながらそう思った。暗かったステージにガチッとライトが点いて、綺麗に揃っていた「アンコール」の声が歓喜の悲鳴に変わる。スティックを客席にプレゼントしているらしい。そこここから雅紀の名前が飛ぶ。
「雅紀さんてば曲も決めないのに出ていっちまったな」
 智春と恭哉は大地に言われて初めて気づく。クールでオトナ、とファンにいわれている雅紀も本心はそれだけ舞い上がっているということだろうか。だとしたら嬉しすぎる。
「何やるよ?」
 恭哉に聞く。本当は聞かなくても答えは分かっていた。答えない恭哉の代わりに智春が「あれやらないとやっぱ客が帰んないんじゃん?」と返した。no-reason。Vanish-Plusが現ラインナップになってすぐにできたこのスラッシュっぽいナンバーは、なぜか異常なまでにファンが多い。楽器の持ち替えと流れの都合上、どうしても今日のセットリストに組めなかったその曲を客が待っているのは明らかだった。智春もうずうずとゴーサインを待つ。
「エンディング、うんと引っ張って煽ってって雅紀さんにも伝えといて。燃焼しきらんとアイツら帰らんから」
 智春は余裕の表情で「途中で音鳴らなくなったらフォローしてくださいよ?」と笑った。スタッフが今頃大慌てで音響やライトに指示を出しているだろう。予定外のことばかりやってきたバンドなだけに、こんな状況こそゾクゾクする。
「もういっちょだけ壊れてみますか」
 よっしゃー、と声に出してCHARはステージに上がった。上がりしな、ベースを受け取りながら「うおぉぉぉ」と何やら吠えていた。かわいすぎる弟分を穏やかな表情で見送ってから大地は寝転んだままの相棒に声を掛ける。
「死んでねぇだろうなぁ」
 ステージから引っ込んで以来一言も声を出してない恭哉はその問いかけには無言で上半身を起こし、ペットボトルの水を一口だけ口に含み、残りを頭から振り掛けた。
「何バテてんの?」
「アホか」
 返ってきた声の掠れ具合に大地は吹き出した。オーバーヒート。はしゃぎ過ぎてありえないことに中盤あたりからすでに「イッてしまって」いる声。こんなガムシャラなライブは、きっと二度とできない。
「チェック、俺が行きましょうか?」
 スタッフが声を掛ける。
「あぁいいや、自分でやる」
 うちわ代わりにしていたボール紙をグシャッとつぶして大地が立ち上がる。
「MC、お前がやれよ?」
 MCといっても「アンコールありがとう」くらいのものだ。長々と話す時間はない。だけど、たったそれだけの言葉さえ、もうコトバにならなかった。
「無理。なんも言葉が出てこねぇ」
 シアワセすぎて。
 振り向かないまま「同感」と返事をして大地はステージに上がった。ステージとここを隔てる黒い幕が揺れて強すぎる光が目を刺した。立ち上がる瞬間襲う目眩と耳鳴り。
「お前ぼろぼろじゃん?」
 慌てて手を貸そうとして三宅は笑う。
「あいにく、若いんで」
 バチンとその手を叩いて立ち上がる生意気なボーカリストの、その汗だくの背中を三宅はバシバシ叩きながらステージへと追いやった。
 サウンドチェックの音が呼ぶ。十数歩先、光り溢れるステージ。自分を呼ぶ声。「あーあーあー」と自分の声を確認する。限界を超えた喉は、お世辞にも本調子とは言えないものだ。頭の中は真っ白で、ついさっき歌った歌さえどう歌ったのか覚えていられないくらい、全てを出し尽くしたライブだった。あと一曲。持つのかどうかなんて考えてなかった。それでも恭哉は歌いたい、と思った。「歌わなきゃ」ではない。「歌いたい」と思ったのだ。
 そして心から思った。今日何度も感じたことだ。

 このライブは、伝説になる。

 九月十七日
 Vanish-Plus初ワンマンライブ@池袋SILVIA
 三回のアンコール含め全24曲
 開場の直後に降りはじめた雨は、終わる頃には豪雨に変わっていた。





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Last updated  2005.11.21 00:35:56
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