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カテゴリ:月は空に深く <連載小説>
覚めない夢に追われた 夜を支えきれずに 浮かぶ満月に生まれて初めて消滅を祈る 神様の名前なんて知らないから 貴方の名前を呼んでいいですか? 第一章 the song means not only love 恭哉はその日、最悪の気分で目を覚ました。いわゆる二日酔いだ。わざわざ埼玉から駆けつけた高校の時のバンド仲間やらトモダチやら、イベントで知り合ったほかのバンドのメンバーやら入り乱れて「祝杯」と称してさんざん呑みまくった酒が、体中に残っていた。流れる血液さえも酒くさいに違いない。ドラムの雅紀が「こんなライブは二度とできねぇな」と笑って、ギターの大地が泣いた。泣いてないと言い張ってはいたが、あれは間違いなく泣いていた。いろいろなバンドで数え切れないライブをこなしてきた雅紀の、おそらく最大級の賛辞で、彼が以前所属していたGAMBITのファンだった大地にはきっとたまらないものだったに違いない。覚えているのはその辺までだ。誰が来ていて誰に何と言われたのかも判然としない。 そして恭哉はその朝、この上なく「シアワセ」でもあった。呑みながらも体中に音楽が流れていて、乾杯のあたりからすでにどこかを漂っているような、そんな妙な心地よさがあり、ライブの余韻は、いつまでも耳の奥から消えなかった。シアワセだ。昨日は数え切れないほどそう話した気がする。「HAPPY」でも「幸せ」でもなく「シアワセ」だなんて、そんな話。「疲れ過ぎてシアワセ」なんて、今までの人生にありえないことだ。それほど完全燃焼して全てを昇華したライブだった。 そして、何もかも、ここがスタートだった。 今度はもっと大きなハコで。 自分が言ったのか誰かが言ったのか、恭哉にはもう分からないけれど、間違いなく昨日あの中にいた全ての人間がそれを望んでいた。加速し続け、進化を続けるVanish-Plusには、やれることもやりたいことも山積みだった。 霞む思考の向こう側からうちのバンドの曲が聞こえてくる……と思ったら、昨日のライブをスタッフが撮ったビデオらしい。大音響。ただただガムシャラな汗だくの姿。格好悪すぎて格好イイ。自慢げにそう思いながら「あの感動はこんなテープに閉じ込めちゃいけねぇよ」と心の中で恭哉は毒づいた。 (頭いてぇ……) 下が固いと思ったら、ベッドではなくダイニングに転がっていた。昨日大地が運んで来てそのまま転がしたのだろう。メンバー全員で同じマンションに住む、というのはこういうときに大変役に立つ。「KYOちゃんとDAIくんってあやしいよね~」なんてうるさいファンの声さえ無視できれば。 重過ぎる体を起こす。何処もかしこも痛かった。さすがに暴れ過ぎたらしい。ワンマンって長いなぁ、と、ライブ中は一ミリも考えなかったような感想を、やっと持つ。 「で? なんでチャーがここにいるの?」 「大地さんと朝まで飲んでたから」 まったく答えになっていない。ちなみにチャーというのはベースの智春のことだ。「智春くん」が転じて「チャーくん」になったというわけだ。 「さんざん呑んだだろうが、未成年」 「だって大地さんと飲みたかったんだもぉん」 (だもぉんって言うな「だもぉん」って) チカチカする画面も大きな音も、目覚めにはきつすぎた。何か不満をぶつけようと一瞬だけ考えて、結局面倒くさくなってやめにする。何しろ寝起きで二日酔いだし、この都合よく「子供っぽさ」をアピールするメンバー最年少のベーシストにはどうせ何を言っても無駄だ。 (よくライブビデオなんて見れるよなぁ) すでに頭の中に昨日の音楽が飽和している自分からはとても理解できない行為だった。ときどき食い入るように見つめたり巻き戻したりするところを見ると何かしら勉強中ならしいが。 「大地は?」 「ついさっきどこか出かけたよ?」 CD屋か、事務所か。ずいぶんとタフだ。……と思ったら、時計はもう既に昼の一時を示していた。シャワー浴びて飯食ってライブアンケートに目を通してCD屋に寄ってバイト先に顔だけ出してスタジオ……。 ミニアルバムのレコーディングが始まったゴールデンウィークあたりから、どうも忙しすぎる。レコーディングが終わったら雑誌の取材だのラジオ出演だののプロモーションがあって、ありとあらゆるバンドのコンサートやライブの終演に合わせて会場に行ってビラを配って、お披露目予定の新曲はまとまりきらずにスタジオにこもりきりで気が付くと夏をとっくに通り越していた。 (全部終わったなぁ) 大地や雅紀が聞いたら「いやいや」と苦笑されそうなことだった。一週間後には名古屋。更に三日後には大阪でイベントが待っている。 「それよりも恭ちゃんさぁ、ライブ中に曲名、仮タイトルで叫んでたよ?」 「知らん」 冷蔵庫から出したミネラルウォーターをペットボトルから直接飲む。やばい、また靴が片方しかないな。 恭哉はリビングを横切ってシャワーを浴びに行った。携帯が鳴ったのはその直後、服を脱ぎ終わったあたりのことだった。メンバーから限定の着信音。この状況でかけてくるとしたら大地しかいない。 「チャー、その電話とって用件聞いといて~」 「は? 俺が?」 ぶーたれた後、受話器に出るところで声が変わる。「大地さん? どうかしたんですか?」典型的なぶりっ子だ。 「あぁ、うん。いるけど? ……うん。……どうしたの? ……分かった。伝えとくけど……何があったの?」 シャワーを浴びながらも聞き耳を立ててしまった。智春の声が何やら深刻なのが気になった。一週間後にあるイベントに何か関係するのかもしれない。恭哉が思い付いたのはそれくらいだった。 「大地、何だって?」 Tシャツを羽織って、塗れた髪をタオルで乾かしながら恭哉は何気ない風を装って訊ねた。 「ん~~。すぐ帰るから出かけずに待ってろって。何か……ヤバいっぽいよね」 「やばいって……MIST?」 ミストというのは23日にイベント参加する予定のライブハウスだ。梅田MIST。キャパが500ちょい。今まで首都圏以外にはあまり遠征してこなかったため、なじみの薄いイベンターさんを通している分、大地が神経を尖らせているのは知っていた。イベントとは言っても三バンドしか出ないため相当の曲数できるし、昨日ワンマンと同時に発売開始したミニアルバムを聞き込んだ客が来ることを考えたらすごく大事なライブになるのはメンバー全員分かっていた。 「じゃねぇ? 雅紀さんも呼んでるらしいし」 智春の顔付きも変わっていた。なんとなく嫌な予感は、ジリジリとしていた。 落ち着かない空気が、すでに流れ始めていた。智春が付けっぱなしにしていたビデオを停止する。ブチッ、ブチッとリモコンでテレビのチャンネルを変える。中身の無いバラエティ番組とくだらない国会中継。いつもなら素通りするはずのニュースチャンネルで手が止まったのは……そう、これが世に言う「虫の知らせ」のようなものだったのかもしれない。 ……、今朝未明、東京都豊川区にあるS幼稚園の園庭で高校生の少女の遺体が発見されました。見つかったのは豊川区内の都立高校三年生の…… (S幼稚園? めっちゃ近所じゃん) 張り巡らされた黄色いテープ。モザイクごしの生前の写真と仰々しいテロップ。高校生の自殺、なんて程度のニュースではもう世の中の誰も驚かないものなのかもしれない。五十五億以上も人間が溢れていて、その中で何百何千という人間が「助けて」と口にすることもできないくらいに温もりに餓えて死んでいっているこんな時代では。だからキャスターは少女の命そのものよりも一つのシーンに固執する。「冥福をお祈りします」よりも先に言うのだ。 「それにしてもどうしてジャングルジムの上、なんでしょうね?」 (ジャングルジムの、上……?) 昨日発売されたばかりの、Vanish-Plusのミニアルバム。三曲目に収録されている「under the MOON」のことがふと頭を過ぎった。……ぞっとするような、予感。悪寒。 「なあ、チャー……」 恭哉が智春に声を掛けるのと、智春が蒼白な顔で恭哉を見返すのが同時だった。 ジャングルジムの頂上で手頚を切って 血の涙で君を振り返らせよう 流れ出したその温もり(メロディー)で せめて貴方だけは凍えずに済む様 月光に紛れて心からの涙(ねつ)を 俺がここにいる、その証に 厳しい顔をした大地が戻ってきたのは、そのニュースから10分と経たない頃だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.11.21 00:38:07
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