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大昔の日本映画の一場面です。大八車を牽いて坂を上ろうと難儀している少年に青年が声をかけます;
「斜めに上ってごらん」 力の弱い者でも知恵があれば何とかなることを知りました。後年、"道具を使うと小さな力で仕事をすることはできるが、仕事の総量は不変であるという力学上の基本原理"を学びました。小さな力で仕事をするにはより長い距離を移動する必要があります。結果として、長い時間を要することもあります。 エレベーターでの昇降のように、100%機械頼みの時には、セキソンであっても健常者との違いは感じません。また、高いところから落とされたときのように、重力による自由落下の場合、健常者も車椅子も変わりはないはずです。 自力で上を目指す者だけが健常者との違いを痛感します。 数段の階段を健常者は一瞬で上ります。車いすでは何年経っても階段は上れません。併設された数mのスロープを数十秒かけて上ります。健常者の階段越えが一瞬であるのに対し、距離で十倍、時間で数十倍です。 プロジェクト・グーテンベルク を始めたマイケル・ハートの言葉です; 「昨日の自分がやったことを見て、今日もまだすごいって思えたら、それはまだまだ明日への目標が小さい、ってことだね」 すてきな文句です。 でも、階段を駆け上がる健常者には下階は目に入りませんが、スロープを行く車いすでは横目に見えてしまいます。スロープが緩ければ緩いほどいつまで経っても下階を視界に捉えたままです。上った気がしません。 頸髄を損傷した者が自力で何かを成し遂げようとしたとき、それが日常生活の行為であれ身体能力の向上であれ、健常の頃の努力の感覚や時間の感覚を持ち続けることはできません。 何気ない坂でも斜めにしか上れません。真横に近いほどの斜めかもしれません。真横にどれだけ進んでも上には行けません。少しでも上向きであればいつかは坂の上にたどり着きます。いつかは。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.15 10:44:20
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