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山田維史の画像倉庫

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山田維史 《オペラ座の怪人のロン.チャニー》 鉛筆 1990年

文春文庫ビジュアル版『大アンケートによるホラー、ミステリー、ベスト150』表紙


     お客様へ

「山田維史の遊卵画廊」の別館としてこの「山田維史の画像倉庫」を建てました。左のフリーページで『自画像日記』全118点を公開いたします。ご覧ください。
なお本館へは下↓のバナーをクリックして下さい。


 
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 書き下ろし『映画の中の絵画』を連載いたします。さまざまな映画のなかにセット・デコレイション(セット装飾)として登場する絵画について、私自身の考察をつづって行きたいと思います。連日とはいかないかもしれませんが御覧いただければ幸いです。
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      『映画の中の絵画』
      

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2005/11/01
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カテゴリ:カテゴリ未分類
『映画の中の絵画』
連載41『ジョー・ブラックをよろしく』4

 ジョー・ブラックの邸内探検のはじめに鮮やかに登場したマーク・ロスコの抽象画が、翌朝、パリッシュの出とともに再び現われると、その存在を薄明かりのなかに消している。なぜか。----理屈としては、前夜は煌々とした邸内の照明のなかに見えていたが、朝、照明は消されてただ外光のなかに見えているからだ。それによって場面転換にともなう時間の経過が表現できる。そのとおりに違いない。それ以上の意味はないかもしれない。
 しかし深読みを承知で申せば、理屈づけはそうであったとしても、前夜の場面ではあまりにも絵の印象がつよく、このジョー・ブラック(死神)というお伽話の主人公を抽象画で補助的に象徴表現していると見ても、私はまちがっていないような気がする。
 前述したが、この後、映画の画面から具象画は姿を消してしまう。パリッシュと一緒に出社したジョー・ブラックは、重役会議にも出席する。会議室のトップ・シート(社長席)の背後に、非常におおきな抽象画が飾られている。
 こういう現代絵画の扱いは、アメリカの有力会社にごく普通にみられることだ。インテリア・デザインがビジネスの最先端を走っていることを示す戦略を担っているのである。このようなアメリカの企業とアメリカ現代美術との関係は、いつか別の映画作品で検証してみよう。
 そういうわけで、会議室に抽象画が飾られていることには何の違和感もない。この作品の作者は誰であろう。ジョルジュ・ブラックかと思ったが、それにしては軽快すぎる。ジョルジュ・ブラックはもっと思索的な重さがある。ファン・グリスにしてはモダンすぎる。アメリカ人作家だとすると、ステュアート・デイヴィスか。彼は具象も多いが、抽象もやっている。----ウーン、いまのところ降参だ。作者を特定できない。
 映画の画面作りとして、この巨大な抽象画がおおきな位置を占めていることは誰しも認めるだろう。パリッシュとジョー・ブラックのツー・ショットにしろ、パリッシュが合併案を拒否し、ニュース配信事業者として金儲けに代えられない信頼を自分の人生で貫いてゆきたいと所信表明するシーンにしろ、二人の主人公以外はこの抽象画だけが画面に存在するのである。
 この映画は何度も言ってきたが「お伽話」である。が、また「死」をめぐる「哲学」でもある。映画のなかでは「死と税金」というたとえが使われている。人生で必ず支払わなければならないもの、という意味である。しかしながら「死」の議論は決して重々しく語られているわけではない。その主題の哲学的抽象性を抽象画で象徴しているのだと私は思う。

 さて映画はいよいよ大詰めを迎える。パリッシュの誕生日の当日である。ロードアイランドの別邸の広大な庭園でパーティーが開催されている。邸内のパリッシュの書斎に、パリッシュとジョー・ブラックがいる。ふたりともタキシード姿である。ふたりは協力してドリューの会社乗っ取りの陰謀をくつがえす。ウィリアム・パリッシュの人生最後の大仕事が終わった。あとはパーティー出席者に挨拶をするだけだ。ジョー・ブラックの肉体を借りた死神に連れられてあの世へ旅立ってゆくのだ。
 ふたりがいる書斎を見てみよう。なんと、壁に飾られている絵は、航海図ばかりではないか。パリッシュの机の上には帆船の模型。いや近くのキャビネットの上にもガラス・ケースに入った帆船模型が置かれてある。この部屋のインテリアはすべて「航海」で統一してあるのだ。人生の象徴である航海。此岸から彼岸への出航!
 
 「此岸」「彼岸」といえばあまりにも仏教的だが、このことばがもしかしたらこの映画には適切かもしれないと思えるシーンが最後に残っていた。
 パリッシュがジョー・ブラックにともなわれ、肩をならべて太鼓橋を渡って姿を消す。この太鼓橋、「三途(さんず)の川の橋」じゃないかなァ。だって、キリスト教やイスラム教やユダヤ教には、橋を渡って死の世界におもむくというイメージはないですからね。私はこのシーンのイメージは「三途の川の橋」に依拠していると思っている。
 この映画の美術を担当したのは『薔薇の名前』の美術をやったダンテ・フェレッティ。セット・デコレイターは、マンハッタン組とロードアイランド組に分れているようだ。





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Last updated  2005/11/01 02:35:17 PM
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