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カテゴリ:雑感・日記
今晩は。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。伊東です。自分でイラつくぐらい体調がよろしくなく、今日も、8割方は静養に努めていました。で、今頃様々な用事に駆けずり回るって訳で。
この静養期間中、私は宗田理さんの「ぼくらシリーズ」を読み漁っていました。角川文庫版シリーズが28冊、文春文庫版が7冊の計35冊。今は「グリム・ファイル」を読んでいます。何回読んでも読み飽きず、第一作の「七日間戦争」は所持してからもう17年になりますね。表紙はボロボロ。でも、ビックセロテープで補強して、持たせています。 色あせない友情を持つぼくらグループ。先にも触れましたが、私の仲間のライバル的存在でもありますが、私たちにしろ、彼らにせよ、何でこんなに長く友情を保てたのかといえば、苦難の局面を共に乗り越えた、というのがやはり一番大きいのではないでしょうか。そんな固い友情を持つだけに、友の死、近い人の死は辛いものがあるんですね。 愛別離苦。 愛する人ともいずれは別れなくてはならない運命。しかし、それがなければ成長もない。実生活でも、知人の年齢幅が広い私にとっては、それを感じさせる出来事が次々と起きています。同年代ではそんな多くはないものの。他の人はどう考えるか分からないけど、私は、自分が生きて、出会ってきた人全てに恥じないように生きていこうと心に決めて行動しています。その割には…ですが、それが、私にとっての、故人に対する最大の礼儀と考えます。 前置きが長くなりました。今日は、勝手にリンクつながせてもらっているらんきーブログ・ぶいっちゃんの記事から、感想代わりの記事を書こうと思います。本当はタイトルも別物を考えていましたが、諸々の事情で変更しました。このブログの「差別しないことは差別になる」「自殺願望・死刑制度」「血液型遺伝」について自分なりに意見をのべさせていただきたいと思います。 1・「差別しないことは差別になる」 この記事の趣旨を語ると、今の運動会では、父母と一緒に食べることをしない…なぜか。運動会に父母が来られなかった生徒がかわいそうだから、というのが理由。このやり方が、果たしていいものかどうかを問いている。 自分も、こういうやり方で、格好だけつけて「見た目差別はありませんでしたよ」というのはちょっとやり方違うだろ、という気持ちがある。同じ運動会で例えれば「100メートル競争で横一列になってゴールイン」。確かにその時の「結果」を見れば「平等」になるだろう。だけども考えてほしい。そのときに己の力を知ることが出来なかった、速かったら速かったなりに、逆もまた然りに成長につなげることが本来の成長って奴のはずだ。先の様なやり方で、次の成長につながるかといえば「ノー」だ。比較的力の劣る競技者が、みんな一等賞というのを喜ぶと思ったら、大間違いだ、というのは、私の次の経験を参考にしてもらいたい。 1993年。地元の養護学校と、私の学校の「学校農業クラブ」との交流活動の一環で、執行部が養護学校に出向き、ソフトボールで対戦することとなった。向こうのスポーツ部のメンバーは、養護学校以外の学校とは初の対外試合。しかも、相手チームの中には高校球児=伊東がいたので、彼らはかなり意識し、真剣に臨んできたのだ。このあと、多分一生ないだろう「4番・投手」として相対した私は、ウインドミル投法こそ出来なかったものの(フォアボール連発じゃ試合にならない)大マジで彼ら、彼女らに相対した。 結果どうなったか。3-2で辛うじて勝つことができた。エラーもあって、2点取られ、向こうの3番打者にはあわやホームランを食らうところだった。しかし、打撃では男は反対打席のルールを課せられたものの、スイッチヒッターの私には関係ない。第一打席ではライナーが外野5人シフトの一番うまい選手の真正面に飛んでしまったが、第2打席ではライト線同点タイムリー、第3打席ではセンターオーバーのエンタイトル二塁打をぶっ飛ばし、後続が続いてサヨナラ勝ちをおさめた。養護学校の先生からは「血も涙もない奴だ」と言われたが、選手たちからは全力でたたかいきった満足感が漂っていた。これでよかった、と私は今も思っている。 カッコだけつけたって仕方ないだろ。色々難儀な事ってのは、社会で生きていく上でなんぼでもある。形だけ整えたって、真の助けにはならない。「差別」と思われることそのものがどう起こっているのか、そして、どうすれば真の差別解消になるのか。道のりは多々あるけど、まず行ってほしいのは、手を差し伸べる事。それに尽きるんじゃないかな、と思います。 本当は、この一作に全て書くつもりだったのに…一度燃えると収まらない…バーニング・コミュンスト、か。残る2つの記事の 2・自殺願望-死刑制度- 3・血液型遺伝 については、ただいま鋭意製作中です。明日、あさって中には仕上げようと思います。 今日はこのあと、ドイツに行って日本代表に合流してきます。(大ウソです) では、また明日、お目にかかります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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おばんです!!
TBしようと思ったら何故か出来なかったのでコメント欄にて失礼します^^ いい話でした。養護学校の方達相手に全力で闘う! 私も従兄弟に脳性まひの同じ年の子がいますが小さい頃から本将棋は本気と書いてマジでやってました^^ 中学生になる頃には私の方が勝てなくなって悔しいものでした(笑) 手を差し伸べる事。そして待つこと。見守る事。人はすべて何がしかの差はあるものですからね^^ 2と3も期待しております。 (2006年06月09日 21時39分18秒)
ぶぃっちゃん、コメントありがとうございます。どうも行き違いになったようですね。
この養護学校の話ですが、私も最初は「けがさせない様に相応に」やろうと思ったのですが、打ち合わせで学校に行った際、何人かの中学時代の同級生から正体ばれてしまったんですね。で、スポーツ部のメンバーから色々「挑戦状」叩きつけられまして。自分は彼らの気持ちが痛いほど分かった(野球が下手で、相手をしてもらえなかった時期もありまして…負けることよりも、無視が辛いんです)ので、ああいう勝負の仕方をしたわけです。 全ての人が差があるのはその通り。だけども、学習によって、それぞれ一人一人、必要なことを学ぶ。その上で色々な役割を果たす。競争、平等…教育に何が必要かは、また別にエントリ立てて考えてみます。教育基本法と絡めて。 あと2つはおそらく一つのエントリーになります。期待に応えられるか分かりませんが、完成を楽しみにしてください。 (2006年06月09日 23時06分45秒)
この記事を書いて、そういえばもう一つ、こんな記事書いたかな、と思って昔のケログをひっくり返してみました。
茨城ゴールデンゴールズの片岡安祐美内野手。彼女と、名古屋の大学リーグに中京女子大が参戦したこととあわせて、後ほど記事にしようと思っています。以上お知らせでした。 (2006年06月13日 21時16分27秒) |