<025>からつづく
ああ、この著者はとても誠実でバランス感覚に富んでおり、なおかつ、苦難の道を歩みながらも、まだまだ夢を持ちつつ、更に生き続けようとしている。図書館に頼んでいた「シリコンバレーは私をどう変えたか」が入荷し、さっそく読みながら、私は痛烈にそう思った。
「ウェブ進化論」を読み進むにつれて、一体、この著者はどのような人物なのだろうと関心が湧いてきた。その彼の処女作とも言うべき本が、この「シリコンバレー~」である。著者は、作家の父親を持ち、生涯に三冊の本を書けたらな、という思いでいたようだ。
つまりは「ウェブ進化論」が2冊目で、あともう一冊、いつの日か出ることになるわけだ。私は、だんだんとこの本に引き込まれ、早く3冊目がでないかなぁ、と待ち望むような気持ちになってきた。
この「シリコンバレー~」を読んで感じたことは、ああ、私には「ベンチャー精神」ってやつは、まったくなかったなぁ、ということである。フロンティア・スピリットとか、未来志向とかはあったとしても、シリコン・バレーに根付いている「ベンチャー精神」とやらに思いをはせることはなかった。
私とて、猪突猛進で36歳のときに会社を興し、まがりなりにも15年以上も一零細企業の経営者ではあるわけだが、しかし、私の場合は、自らの隠れ蓑のように会社を使ったのであって、現代わらしべ長者のように、それを出世や莫大な利益を作りだす道具にしよう、という観点は、まったくなかったと言ってよい。
ふと、自分のライフストーリーを思い出した。小中学校時代の自分のストーリーはこうだった。大学をでたら新聞記者になり、中年には物書きとなり、晩年は宗教家になろう。漠然とそう思っていた。しかし、人生とは、予想もできない展開を用意している。高校生になった私は、時の政治の時代の中で、小さなジャーナリズムであったミニコミの世界にはいり、大学受験を拒否することによって、早くも10代で全国向けの雑誌の編集に携わることになった。そして、さらには、その出版関係が縁で、20代前半で、宗教家になっていたのである。Oshoのサニヤシンを決して宗教家とは言わないが、流れとしては、そういう流れになっていた。つまり、あっというまに、私の第一回目の人生は20代前半で終了したのである。
その後、私に課せられた任務はいったいなんであったのだろうか? それはMeditation in the Markrtplace 市場での瞑想、ごくごく普通人として世の中を行き続けることであった。
コンピュータやネット関係のIT本は、技術革新とともに陳腐化しやすく、数年で、もう読みたくなくなる本が多い。しかし、この「シリコンバレー~」はすでに5年が経過しているというのに、きわめて示唆にとんだ良い本だ。特に「ウェブ進化論」を読む上で、その著者のライフ・ストーリーと、その背景となるシリコンバレーと日本、というコントラストが明確になるという意味では、必読書とも言える。
<027>につづく