ビートルズ詩集 岩谷宏
「ビートルズ詩集」 岩谷宏 1985/03 シンコー・ミュージック 271ページ No.862★★★☆☆ ついに岩谷宏おっかけをしているうちに、セカンドライフ・カテゴリ108番目のエントリーとなってしまった。このカテゴリが「ビートルズ」で終わるのも何かの縁か。この岩谷訳は、1973年にでた第一版の改訂版らしい。イマジンは入っていないが、それはどうやら版権の関係が理由のようだ。この本が登場したかぎり、せめて一曲は選曲したいところだが、悩んだすえに選ぶべきは、やはり、これか。Revolution BEATLES 「革命について」きみは革命が必要と言うそうたしかにみんなが世界を変えたいと願っているそれが進化だとぼくに言うそう、たしかにみんなが世界を変えたいと願っているでもきみが破壊のことを言っているのならぼくを外してくれて結構だきみには分らないのかうまく行きつつあることがきみはうまいやり方があると言うそう、たしかにみんながいいやり方を求めているきみはぼくにも貢献しろという言うそう、たしかにみんな、自分に出来ることをしているんだでもきみが憎しみの心を持つ人々のために金を欲しているのならなぁ、おい、ちょっと待て、と言うのみだきみには分らないのかうまく行きつつあることがきみは政治を変えると言うそう、でも変えるべきは人の(きみの)頭だきみは制度が問題だと言うそう、でもむしろ心を解放すべきだそれに毛主席の写真を持ち歩いていてはだれと話をしてもうまく行きはしないきみには分らないのかうまく行きつつあることが 176p 岩谷宏・訳 訳者あとがきで、岩谷は言う。 今回、あらためて、短時間で大量の曲・詞をチェックしてみて感じたのは、たしかに、音楽・感性・思想としてのロックの原点は、すべて、ここビートルズ(とくにレノン・ジョン)にあること。ただし、全体としてはすごくあいまいで、ひ弱であること。そして、あいまいであるがゆえに大量(=多様)のファンが形成されたことである。それはまるで、ぶちまけたパンドラの箱であって、なにもかもがあった。のちに、グラムやパンク等によって否定されなければならなかったものも含めて。 そしてスター現象という社会的には全く不毛な現象であるロックは、ファンによるスターの暗殺という、その不毛さにふさわしい、最高に理想的に醜悪な結末を迎えた。なぜ、最初から最後まで、徹頭徹尾、「一人の私(じぶん)」としての曲しか作り・歌ってこなかったレノン・ジョンが、一人の私として受けとめてもらえずに、肥大したスター幻想になったか。この種の”代理錯覚”は、人類の歴史において長いのである。(だれか、少数の人がなにかやってれば、それをあがめて、自分も---自分は実は何もやっていないのに---やっていると錯覚すること。) スターは死んだ。代理錯覚のイナカモンたちは今日も明日も、なんらかのスターがあるふりをし続ける。復活すべきなのはスターではない。こんど起(た)ちあがり、こんど叫ぶべきなのは、わたくしたち一人々々なのだ。この醜悪な結末から、かろうじて肯定的に学ぶべきものがあれば、この点をおいてないだろう。そこで、最後に、くどいようだが、しょせん翻訳とは、訳者の作品でしかない。 p267 ここで私は何かいわなくてはならないのだが、それはこの「ビートルズ詩集」岩谷訳の第一版がでた年、1973年の18歳の私に代弁してもらおう。 「ジョン、きみは天才なんかじゃないよ」 人間の愛されるべき性は「神」を創出した。時代的空虚さは「スーパースター」を創出した。60年代ニューエイジは革命家になり切れぬ己れを悟って「ビートルズ」を創出した。 「ビートルズ」は俺らの共同幻想だ。今さら、リバプールの薄汚れた少年たちを調べ回したところで、何がでてこよう。ジョンだってリンゴだってポールだってジョージだって普通然とした青年でしかないんだ。 ジョン、きみは天才なんかじゃないよ。でも虚構に身を置く者は虚構に徹したまえ。きみは「天才」になりすましていていいんだよ。 ビートルズ、君は革命なんかじゃないよ。でも幻想に基づく者は幻想を全うしたまえ。きみは「革命」だと思い込んでいていいんだよ。 『時空間』 第2号 p68 1973/01シンギュラリタリアン・カテゴリへ合流