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カテゴリ:ブッダ達の心理学1.0
<08>よりつづく
一ページも開かず、一行も読まずして、なんだかんだ言っている、私とは誰? そして、そして、よくよく考えてみたら、このブログのサブタイトルは「極私的」となっているではないか。 なんとも、どうやら、このカテゴリのテーマは、いい意味でも別な意味でも「極」ということになりそうだな。といいつつ、太極拳、という言葉を思い出した。極太(ごくぶと)という文字を書いていた時は、そんなこと思い出したりしなかったのに・・・ つまりはだ。このひとかたまりである一冊の本と、この5尺8寸の生身の体の勝負になりそうだな。で、勝負ですか? 勝負じゃないな、対決じゃなくて、融合だ。愛し合い、か。うむ、ちょっと気持ち悪いがいいだろう。 でも、待てよ。愛し合っているのは、見詰め合っている二人の恋人ではないか。違うな。溶け合い、融合だから、愛し合いではない。花があって、蝶があって、花も枯れて、蝶も死んで、大地に戻って、なにもなくなって、って、そんな感じがするな。その何もなくなって、ってところに、いけるかどうかだ、問題は。 しかし、本も開かず、これだけ能書きだけ言っているというのは、どういう魂胆なのだろう。魂胆なんてなにもなくて、ただたんに、読むの怖いのではないかい。あるいは、もう本なんて読みたくない。あるいは、こんな500ページもはるかに超える本を読む力もないのかもしれない。 とにかく、今朝は「究極」と「極私」が溶け合って、太極になって、無になればいいわけね、というところまでイメージできた。なんだか、昔の歌を思い出した。 ♪富士の高嶺に降る雪も 京都ボント町にふる雪も 雪に変わりはないじゃなし 溶けて流れりゃ みな同じ♪ ・・・・・と <10>につづく お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.01 10:30:15
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