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カテゴリ:ブログ・ジャーナリズム
「『街的』ということ」 お好み焼き屋は街の学校だ 江弘毅 2006 たまにはお薦めの一冊を、と言いたくなるような三つ星、いや五つ星の新書本。ちょっと時間が空いたので、通りがかりの街でなにげに入った当り前の構えのお店が、意外や意外、ぴったし図星の一軒。ともなく何度か通っているうちに、ますますその世界に引き込まれ、いつのまにか人には常連と言われるようになってしまっている。 そんな雰囲気を持っているのがこの本だ。もともと京阪神を中心として続いてきた「街の雑誌・ミーツ」の元・編集長ということだ。1958年生まれというから48才、なんとも、人生の酢いも甘いも嗅ぎ分けられるようになった年代というべきか。 このようなミニ・メディアの編集にかかわってきた人というと、「噂の真相」の岡留安則や「カメラジャーナル」の中川右介を思い出したが、ブームであれよあれよと浮き沈みをみたり、スキャンダリズムに体を張る、というのとはまたまったく別な、なんというか粋というものを感じる。 彼のいう街というのが京阪神というのがまたいいのかも知れない。東京や他の地方都市では、こうはいかないだろう。このブログで、なんども文字だけの日本論や日本人論を読んできたが、この本は優れて立派な日本論となっているかもしれない。 定かではないが、解説の内田樹が最後の最後に書いた日本の一文字があったかもしれないが、本文では決してそれを感じさせない周到さだ。私はこの本を読んでいて、ああ、日本人でよかったなぁ、と思った。日本人でなかったら、彼のこのような文章を堪能することはできなかったと思う。 もし、カルカッタの雑踏の中とか、カルフォルニアの青い空の下とか、フィンランドの森の中に生まれたのだったら、この本の面白さをわからなかったかもしれない。いやいや京阪神人ならぬわが身ゆえ、今でもこの本の本当の面白さは分かっていないかも知れない。いくつかのお店が紹介されていて、わお、ぜひ、いこう、なんて思ったりするが、著者のような目で店を見つめ、著者のように店を味わう、ということはなかなかできないだろう。 この本で紹介されているのは,一軒一軒のお店ではなくて、そのお店を見つづける目だろう。視点、あるいは、その心。そこには小宇宙がある。残念ながら京阪神に行くチャンスも少なく、また、あまり街的にお店を尋ねて歩く習性もなく、「ミーツ」という雑誌も手にとることもなく、この人生を過ごしてきた。しかしなんとも、うらまほしき世界である。 いつかはやってくるメシアを待望する千年王国論でもなく、もう一つ別の宇宙哲学にユートピアを求めるUFO神話でもなく、いまここに楽園を見るというなら、現代の地球にあって、この本に展開されているような世界に生きることができるなら、それはそれで、こここそ蓮華国ではないか。そんな気にさせられる。 酒脱にすぎて、一気にスノビズムに堕していく危険性のある、あぶなっかしいエピキュリアンたちの姿でもあるが、ここにはここのひとつの美がある。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.21 03:46:47
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