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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2006.12.25
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<2>よりつづく

「魂の螺旋ダンス」<3> The Spiritual Spiral-dance はるかなる今ここへ 
長澤靖浩 2004/10 第三書館

 者の書いた「精神的文化の螺旋型発達モデル」をみると、「個的」な世界と「集団的」な世界が対極に存在しており、その両極を循環しながら、時間的経過とともに拡大しつつ、精神文化が螺旋的にダンスを続けていく、という形になっている。

 ふと考えてみると、この本は、まさに個的な世界と、集団的な世界を行きつ戻りつしているように見えながら、実は、未来へ、あるいは、いまここへ、読者をいざなおうとしているようである。著者自身がそのようなストーリー展開になることを意図して、このような一冊の本ができあがったのだろう。今夜は、この「個的」部分だけ、ピックアップしてみてみよう。

 といっても細かいところは明確ではないし、書かれていないことも多くあるに違いない。ここでは、文章に何度か出てきたOshoとの出会いや、そこにまつわるコメントについてピックアップしてみる。本文では他の表現がされているが、彼が言わんとしているものは、このブログではOshoで統一しているので、私が書く場合は、これで勘弁してもらいます。

 りしも、1980年代後半には、オショー・ラジニーシによるオレゴン州のコミューンの崩壊をはじめ、インド系宗教の「グルイズム」の終焉が語られていた。p3

 オショーになったのは、86年にインドに帰ってからであって、オレゴン州のコミューン時代はバグワンである、という名前の違いはさておいて、「インド系宗教の『グルイズム』の終焉」を語っていたのは、誰だったのであろうか・・・? インド民衆が語っていたわけでもなく、Oshoの弟子達がそう語っていたわけではない。日本の精神世界の大きな潮流になっていたわけでもない。

 語っていたのは、私の認識するかぎり、翻訳家・吉福伸逸(以下、敬称略)とそのエピゴーネンたちだけだったのではないだろうか? 少なくとも、大きな潮流にもならなかったし、いわゆるインドのグル達も「終焉」したわけではない。

 吉福のネットワークとして星川淳などもその意見に賛同していたようであるが、星川がOshoにネガティブになったのは、何も80年代後半を待つ必要はなく、すでに70年代後半からOshoに対しては批判的であった。また、言葉の明晰さを欠くが、いわゆるインドの「グル」スタイルに対して批判的だった動きには、まずはクリシュナムルティなどがあり、すでに1929年前後の彼の行動に如実に現れている。

 コミューンが崩壊したのは本当だが、何故崩壊したのか、あるいは崩壊した意味はなにか、ということをここでは、あまりに簡単に通り過ぎたと思う。その辺の経過は、それぞれに情報がそろわないと、論及できないことも多いが、著者には、昨年2005年にでた
「アメリカへの道」なども参考にしながら、再考を望みたい。

 その東洋思想コーナーで私はバグワン・シュリ・ラジニーシの「存在の詩」という本に初めて出会った。「ゆったりと自然であるがままにいなさい。河は海に向かって流れている」と書いてあった。私は書棚の前で立ち尽くしたまま、はらはらと泣いてしまった。p126

 本との出会いや、人との出会いは、感動的なことが多い。ましてやOshoの本にであった人は、このような感覚はよくわかるはずだ。この本が店頭に並んだのは1976年であり、1960年生まれの著者16歳の時だ。この文章では何年に読んだのかは定かではないが、その後、著者は大谷大学で仏教学を志し、また大学院でも学んだ。

 また、その間にバグワン・シュリ・ラジニーシをオレゴンのアシュラムに訪れ、様々なセラピー・グループや瞑想法も試みてきたのである。p127

 オレゴンへ一般的なサニヤシンが訪問できるようになったのは1982年以降だから、著者22~24歳の頃。当時のOshoへ関心を持った若者は多かったけれど、著者も、やはりだいぶ若い時にOshoの影響を受けていたということはわかった。ただ、「オレゴンのアシュラム」とはちょっと、ちぐはぐな表現だなぁ。

 それに、セラピーグループや瞑想法を「試みる」という表現も、私としてはいただけない。この段階においても、著者の瞑想は試みでしかなかったのか。あるいは、この表現は、ちょっと堅苦しくはないか? Oshoのもとにおいてのセラピーは、もうちょっと遊びにみちたものであって、笑いやジョークに色どられていたはずである。

 は青年期の懊悩の中、ラジニーシという一人のグルによって、意識の根源的な解放を垣間見せられた。そこから私がラジニーシという一人の男を聖なる存在として崇拝し、絶対化することまではほんの半歩の距離であった。私にとってラジニーシに対する崇拝に陥ることなく、また自らの神秘体験を絶対化することもなしに、「あるがままの今ここに開き続ける」ことは恐ろしく困難なことであった。p130

 第三者の精神的営為について、他者がとやかくいうことは、つつしむべきことで、個人的なこちらの意見をストレートにいうのもどうかとは思うが、本となって表現されているかぎり、ちょっとコメントさせていただく。

 まず、ここでなぜに「ラジニーシという一人のグル」という表現がでてくるのであろうか。サニヤシン同士であるなら、まぁ、冗談では「グル」なんて言うかもしれないが、少なくとも当時でも、今でも、「ラジニーシという一人のグル」という表現は使わない。著者がこのような表現をしたかった、ということであろうが、また、それは、著者特有の嗜好である、ということを、忘れてはならない。

 「聖なる存在として崇拝し」ということはどうして起こるのだろうか。「聖なる存在」という物自体のイメージも私にはあまりピンとこないのだが、「崇拝し」とは、ただごとではないなぁ、と思う。著者は「崇拝する」危険性があったということなのか。「絶対化することまではほんの半歩の距離であった」とまで言うなら、著者はそうだったのだろうが、著者は半歩前で止まったけど、他の弟子達は、一歩前に行ってしまって、絶対化して崇拝していた、などと言うつもりなら、それは勘弁してほしい。それは違う。

 当時のオレゴンのOshoコミューンを訪れた人々をもうすこし尋ねてみる必要があるが、Oshoを絶対化して崇拝していた、なんて人は、すくなくとも私の友人にはいない。もちろん私は半歩どころか、そっちの方には最初っから行っていない。ここで、著者は、他の弟子達は、グルを絶対化して崇拝することによって「カルト」化していた、などと言いたそうであるが、それは違うだろう。自分以外の外側の世界がそう見えてしまったとしたら、それはOshoやその弟子達の問題ではなく、著者自身の問題だ。ここでは、不必要な誤解をまねくような表現はさけるべきだと思う。

 時、有名になり始めていたインド人のグル、バグワン・シュリ・ラジニーシに惹かれ、また鈴木大拙の禅思想、親鸞の思想に光を見出したつもりでいた。p158

 またここでも、「インド人グル」という表現を使っているが、もうすこし気のきいた表現はないのかな。ちょっと紋切り型すぎる。ましてや、この表現は一般的ではない。「有名になり始めていた」という表現も気になるなぁ。「有名」であることが、可か不可を問わず、なにかの価値があるかのように錯覚するようである。当時のOshoは、確かに言葉でつながりたいものは、自分が語っているうちにやって来なさい、と多くの人を招いてはいたが、それは「有名」である、ということとは違う。必要な人に必要なメッセージを届ける、というニュアンスなら、私にはわかる。

 「バグワン・シュリ・ラジニーシに惹かれ」という表現も、私にはちょっと違和感がある。これでは、ある異性に一方的に惹かれた青年のように、片思いになってしまう可能性があるのではないか。むしろ、マスターと弟子の関係というのは、惹きつつ惹かれる両想いであるはずなのだ。著者がOshoを見つけて惹かれていったのなら、Oshoもまた著者に惹かれ、近づいていった、ということのほうが私にはピンと来る。

 159Pの加藤三郎(デバム)についての表現は、私にもよくわかる。私もシャンティユガ(だったと思う)で彼と会ったことがあるし、テレビ放送も、他のサニヤシンたちと見ていた。あるいは、ああ、この時、著者はここにいたのか、とあらためて親近感を持つ。

 かし、そのかなり良質の部分すら、いくつかの問題が見られる。実のところ、私は自分のグルであったバグワン・シュリ・ラジニーシにすら、同じ問題点を感じたのである。おそらくは最大の問題点は、思想の絶対化、殊にグルの言説の絶対視という現象だ。p167

 この辺の表現にも、なんとも納得のいかないものを感じる。「私は自分のグルであった」という時の、「グル」が、私はどうにも受けがいたい。「私」と「マスター」という表現なら、なんとなくわかるのだが。「グル」という言葉は意味がいっぱいつきすぎている。「であった」という表現もちょっとは気になる。今は違うよ、とでも言っているようだ(言っているのかも知れないが)。

 また「自分のグル」という表現の中に、すこし所有的な感覚が含んでいないかな。グルとは、なにか自分が所有したり、得たり、捨てたり、できるもの、というニュアンスが見て取れる。このマスターと弟子の関係というのは、もっと微妙な関係であるはずなのだ。

<4>へつづく





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Last updated  2010.03.07 22:01:32
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