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21冊の本の画像よりつづく
どこかで、どういう形でか、口火を切っていかなくてはならない。「スピリチュアル・データ・ブック」(ブッククラブ回)において、Oshoについての記述はこう締めくくられている。 もし答えの見つからない探求者が、暗闇の中でラジニーシの言葉に出会ったら、むさぼるようにそれを飲み干したくなるのも不思議はない。言葉にできない何か、それを表現する術を彼は知っていた。彼の著作は膨大な数に上る(現在では市場に無い書籍も多い)。老荘思想、禅、仏教、スーフィ、キリスト教、インド思想、チベット密教・・・。それらのエッセンスを、現代人の感性に置き換えた、彼の表現力は卓越している。圧倒的な個性とカリスマ性を持った一人の神秘家は、20世紀に何をのこしたのだろう? p239 それは編集者のつぶやきでもあるだろうし、大方の読者のため息でもあるだろう。Oshoのサニヤシンと目される私とて、その思いには変りない。いったい彼は、20世紀に何をのこしたのだろうか? それをまとめ記録しておくことは、いつか誰かがやらなければならない。もうすでに完了しているかもしれない。 しかし、私のアンテナにまだ引っかかっていない以上、私なりにぼちぼちとはじめなくてはならない。もちろん手がかりはたくさんある。ありすぎると言っても過言ではない。しかし、それではまとめにならない。シンプルでよりわかりやすい形でオープンに、そして他人にも利用しやすいように、なんらかの形で提供される必要がある。 先人達の優れた仕事は多くはないが、確実に残されている。今、思いつくのは、Osho本人の一連の講話録はともかくとして、まずは「21世紀への指導原理OSHO」を上げなくてはならないだろう。465ページにいたる大冊であり、発行された1994年という先駆性、そしてその「21世紀への指導原理」というタイトル・コピーもズバリと言い切っていて、度肝を抜かれたものだ。しかし、この敬愛すべき著書において、論点は必ずしも明確ではなく、まして、この本についての他者からの評価も必ずしも多くなく、十分活用されていない嫌いがある。 その次に上げるべきは、一連の玉川信明の4冊の著書であろう。「和尚(ラジニーシ)の超宗教的世界」、「和尚(ラジニーシ)禅を語る」、「和尚(ラジニーシ)性愛を語る」、「和尚(ラジニーシ)聖典を語る」は、Oshoのサニヤシンなら決してしなかったであろう「掟破り」をして、Oshoを何かの原則を元に統合しようとした。玉川はまえがきに書いている。 あとがきを書き終えてからのまえがきであるが、言いたいことのただ一点は、この書は私個人の人生上の問題はあれ、これだけのガッツのある天才的宗教家を世に紹介したいという思いばかりのものである。あとがきにも触れたように、これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である。p8 「これだけの神秘的で偉大な人物を日本の知識人たちはまったくと言っていいほど、無視し、マスコミにも取り上げられないというのは、知識人の怠慢というより悲劇である。」とまでいうところの玉川の想いは、すべての不備をカバーしてあまりある。その想いに突き動かされるなにかがある。ただ、彼の限界は、プーナに行かなかったこと、サニヤシンにならないかったことなどがあるが、しかし、それは大きな障壁にはならない。惜しまれる点は、彼はこの4部作を残したまま、2005年に7月に75歳でなくなった。彼の仕事は、おそらく未完のまま終わったと考えてもいいのではないだろうか。 続いて取り上げられるべき仕事は「現代社会とスピリチュアリティ」であろう。長年のフィールドワークを通じて、日本のサニヤシンたちを社会学的手法を持って記録したことは、学術的にみて大きな足がかりを残したと言えるだろう。そしてOshoをとりまく21世紀のスピリチュアリティとのインターフェイスを作成しようとした試みは大いに評価されてしかるべきだと考える。学術的な意義は大きいが、取材された側からすれば、必ずしもその意義を理解できていない。この仕事も十分な吟味をされないまま放置されている、と感じるのだ。 次に触れるべきは、「湧き出ずるロータス・スートラ」。これはミニコミ「TUKUYOMI」に二回にわたって連載されたもので、1992年当時までのOshoと日本との出会いが書かれている。僭越ながら私の書いた短文である。個人的なメモに近いものではあるが、割とよくまとまっていると思う。しかしながら、これもまた大きな欠陥がある。1992年当時以来のことについて、一切触れられていないことである。その後、日本のデフレは進行し、阪神淡路大震災、麻原集団事件、インターネットの日常化、そして、9.11など、その後の大きな社会的変化に対応していない。このブログは、ある意味において、この短文の続編として続いてきているのである。続編の中で語られるべきは、21世紀の地球におけるOshoだ。 そして、その「21世紀の地球におけるOsho」を語る時に、援用したいのは、インターネット上のコミュニティのあり方、とくにフリーウェアソフトやオープンソースと言われるものに、大きな原理を与えることができたリチャード・M・ストールマンの説である。「フリーソフトウェアと自由な社会」は、直接にOshoに触れることもなければ、分野もまるで違うが、その言わんとする世界観はかなりの親和性がある、と思われる。これは私ひとりの感覚ではないだろう。とかく閉鎖的な集団と思われがちなスピリチュアリティにおいて、この原理を援用することは多大な成果があると推測することができる。 そして「アメリカへの道」への道は、日本においてはようやく翻訳刊行されたのだが、もっぱらOshoの批判の根拠となってきた80年代前半から中盤にかけての、アメリカにおけるOshoコミューンのできごとについて、堅実なジャーナリストが中立的な立場でレポートしたものであり、かならずしも正確な情報が多くなかったこの問題について、今一度、この本を手がかりに、光と影の「影」と云われる部分について、光をあてていく必要があるだろう。この本のおしいところは、Oshoをアメリカ時代まで、としていること。現在となってみれが、それでは、Osho理解の半分でしかない、ということになる。のこりの部分についても、このジャーナリストのよしみにならって、続編がでることを期待する。 「和尚との至高の瞬間」「一万人のブッタたちへの百話」「和尚と過ごしたダイアモンドの日々」など、Oshoの死後に出版された側近達の回顧録は、それまで一方的に圧倒的な量で流されてきたOsho本の間隙を埋めるような形で、さらなる光輝と陰影をあたえてくれる。一般的に素直で明確に記述されてはいるが、やはりポジティブすぎるほどの「愛」に囲まれて書かれているのが、この本達の欠点といえば欠点で、一部、仲間内言葉で書かれているので、一般読者、あるいは、他分野からのインターフェイスに弱いと言える。そしてまた、プライバシーであるがゆえに、書かれていることと書かれていないことの点検が難しい。同時進行的に体験されたことが書かれているので、つき合わせて読んでみるもの一興だろう。 アメリカをあとにして世界ツアーにでて、ふたたびプーナに戻ったOshoは、「大いなる挑戦 黄金の未来」「新人類」など、ブックレットシリーズを矢継ぎ早にだして、グローバルなメッセージを送るとともに、未来へのビジョンを示した。淡々と語られるOshoの講話は、その時点で記録されたのみにとどまり、十分な玩味をされないまま不必要な反感ばかりの評価も少なくなかった。もちろん、高い評価を与えた一群の人々もいる。しかしながら、その後、20年を経て、これら一連の警句が、どれほどの価値があるのか、21世紀もすでに本格化している現在、再点検、再評価してみるのもいいのではないだろうか。 さて、現代において、仮想社会ネットワーク・セカンドライフ関連のすぐれた著書をだしているティム・ゲストは前著「My Life in Orange」を出している。6歳の時にOshoコミューンに母親とともに参加した彼の体験を綴ったこの本は、必ずや一読の価値あり、と思われるが、本邦未訳である。私もまだ手にとって読んだことはない。21世紀のOshoを語るなら、Oshoと同世代を生きた人間達だけではなく、その後につづいてきていた世代の言葉にも耳を傾けなくてはならない時代になってきていることを痛感する。 最近ではインターネットを通じて、Oshoのビデオや英語講話などにも容易に接触できるようになり、また、ヒンズー語における講話だって、無料でいくらでも十分聞ける時代なのだから、感謝しきれない思いでいっぱいだ。しかし、そこにおいては、まだまだOshoの顔と声があり、そのカリスマ性に何事かの力を借りて行われていることも多くある。この「BODY MIND BALANCING」という本は、私がネットオークションで数百円で落札したものだ。以前の本は、これでもかというほどにOshoの写真が多用されていたものだが、最近ではこのように、彼の写真は見られなくなった。この意義はいろいろ評価されているが、私は概して賛成だ。この辺の小さな変化の中にも、現代のOsho、21世紀のOshoを探る手がかりがあるのではないだろうか。 そしてそして、Oshoとはなにか、と問うにあたっては、あまりにも膨大になるので、その中のいくつかをあげるにとどめるべきだろう。エンライトメントしてしまった人間に伝記はありえないとするOshoは自らの伝記を書かなかったが、インド人作家による「反逆のブッタ」は優れた伝記といえる。あるいは「マイトレーヤ」は恣意的に編集された神秘家Oshoに光をあてた一冊だが、この隠し味があってこそのOshoであると私は感じている。あるいは、このブログが本・コミックというジャンルに属する個人的なブログであってみれば「私が愛した本」などを切り口に、よりオープンで周囲との親和性の高いOshoのクリアな世界をみてみることも大きな意義があることだろう。 個人的には、ケン・ウィルバーの仕事は、Oshoの仕事に通じるところが多いと感じている。同時代に行きながら、世代をすこしズラした二人を比較してみることは、ともに統合的姿勢をもっていたことを考えるときにも、きわめて意義のあることだと思う。そして、そもそも、Oshoが日本に紹介されることになった時代性やその経緯などを抑えておくことも、OSHO/gnu0.0.2という名の遊びをするには、大事なことであろうと思う。その意味ではふたたび「存在の詩」を紐解くのも、身震いするような感動を呼び起こす。 さて、ここまで21冊について触れてきたが、どうしてもここにおさまらない本たちがある。便宜上割愛しなくてはならないのが非常につらいが、それらについては順次機会を捉えて展開していくとして、それらのエネルギーを「知られざる一冊」として22番目に加えておこう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.11 00:30:18
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