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カテゴリ:シンギュラリタリアン
この小説、初読のときから、なかなかすんなりと私の心のなかに居場所をみつけてくれない。今回は<再読>ということで、心を入れ直して、読み直してみたら、なかなか面白い。ちょうど真中まで読み進めてきて、このカテゴリはこれで行こう、と思いかけて、ネットでいろいろググってみた。 そうしてみると、この作者を初めとする、いろいろな側面が見えてきて、正直言って、なんだかなぁ、とちょっとしらけるところがある。公式サイトでは「スピリチュアル・ロハス小説」とかいう自己紹介コピーもある。う~ん・・・・。 まずはとにかく途中まで読み進んだぞ、というメモを残しておく。「ハリー・ポッター」も全作見たわけでも読んだわけでもない。「秘伝カモワン・タロット」においては、一冊マニュアル本を読んだからといって、それは何をも意味しない。タロットは、習熟するには時間と集中力が必要だ。この3冊(というか三つのアイテム)がかもし出す三位一体は、どうも今ひとつシンフォニーを奏でない。 最後の最後はどうなってしまうのだろう。「地球人スピリット」ってコンセプト自体、それでは自分で出してみたら、って言われたら、それも困るなぁ。地球人ってのは人間、ってことであり、人間には精神も肉体もあって、人間は精神があるから人間なのであるのである。であるからして、地球人スピリットなどとまわりくどいことをいわないで人間でいいではないかということになるのであるのである。したがって、人間は人なのであり、人はヒトなのである。 ヒトをジャーナルするには、ヒトの外側と内側があり、どちらもジャーナルされる必要があるのであるが、その外側と内側のちょうど中間にいるのがヒトなのである。とここまでくれば自己撞着した形容矛盾になって、ヒトなんぞジャーナルする必要はなくて、ヒトはただヒトであればいいと、いうことになるのであるのである。 つまり、ヒト、とヒトコト言えば、このブログはオワリ、にしてもかまわないのである。いや、実は、ヒト、とヒトコトもいうことも必要ないのであるのである。ヒトはヒトであればいいのである。ヒトがヒトであるとはどういうことなのか。などと考えては「ある」ことにはならない。ヒト、なのである。ヒト、と半角にしても、まだ足りない。ヒトと半透明にしてもまだ足りない。 って、このあたりについて、そしてそれからについて、ハリポタにしてもカモワンにしても、ロハス小説とやらにしても、どこまで追っかけてくれるかなぁ、とややため息。ちょっと難渋な「地球人スピリット」カテゴリ<再読>のプロセスである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.02.11 18:49:27
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