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カテゴリ:mandala-integral
「チェロキー」というカテゴリを立てて、何冊かの本を読み、西部劇などの映画を見たりしてみたが、それらが言及する世界は広範な領域に広がっており、とてもとても108エントリーで収まりのつくような世界ではなかった。読み残しが山になっている。これではさらに続編の「チェロキー2」というカテゴリが必要かなぁ、と考えていた。だが、「シンギュラリティ」の場合もそうだったが、「シンギュラリタリアン」という類似のカテゴリを作ってみたが、必ずしも成功したとはいえない。 そこで、「チェロキー」つながりの次のカテゴリは「アンソロポロジー」とした。人類学といわれている分野ではあるが、人類学、人間学、文化人類学、構造人類学、民族学(あるいは民俗学も)、社会人類学、実存哲学など、さまざまなアプローチが交錯する領域ではある。レヴィ=ストロース周辺から沸き起こってきた潮流をとりあえず、こう呼ぶことにして、このカテゴリの中でガラガラポンをしようという目論見である。 北山耕平については、ここで多くを語る必要のないほどにポピュラーな存在になっている(はずだ)と勝手に思っているのだが、このブログが、「チェロキー」に限らず「アンソロポロジー」というもうすこし大きな枠組みのカテゴリ中にジャンプしようとしても、この「Native Heart」というブログは、大いに役立ってくれるはずだ。ましてや、このブログから発展して一冊の本になることも多く、よりオリジナルやソースに近い情報を得ることができる可能性がある。 しかし、70年代以来、雑誌「宝島」の編集以来、カウンターカルチャー畑を歩いてきた北山の人生のことを考えると、ネイティブ・アメリカンに自らのライフワークを絞ってしまったことについて、それって、それでいいのなぁ、と他人事ながら、ふと首をかしげることがある。ブログにおいても、部族名どころか個人名がかなりでてくるし、友人や家族の領域を超えて、魂の兄弟的な付き合いをしているのだろうけれど、はて、と、毎回私は、首をかしげる。 「ネイティブ・アメリカンとネイティブ・ジャパニーズ」という北山の最新刊は残念ながらまだ目を通していないが、だいたい内容がわかっているような気がして、あせっていない自分がなんともおかしい。つまり、北山のネイティブ・ピーポーに対する視点は、あきらかにマニアック過ぎて、私にはちょっとついていけないところがある、ということなのだろうか。もっと言えばカルト的といえる。あるいはトリビア的とでも言っておこうか。 こちらのブログは、別に過去にさかのぼろうと言っているわけでもなく、一地域にこだわろうと言っているわけでもない。むしろ、地域や時間に囚われず、「人間とはなにか」を漠然と考えているところだが、このネイティブ領域は、確かに通り過ぎなければならない「秘境」なので、まずは北山たち先人にガイドを願うことが多くなる。今のところは、自転車でフィールドに飛び出してみたところといえるだろう。しかし、徒歩は当然としても頑丈な四駆車を駆り出してもそうそう全体が見えるわけでもない。軽飛行機に乗って鳥瞰を得たとしても、まだわからないだろう。月に行った探索船「かぐや」でさえ、「地球の出」を見ることはできても、その時の裏側は見えないのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008.01.31 09:10:32
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