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カテゴリ:mandala-integral
例によって、あまり細かくは見ていないので(申し訳ありません)、この日のこのまとめだけについて、コメントしておこうと思った。コメントというより、一年のまとめとなっているだけに、この方の姿勢が明確になっており、それを鏡として使わせてもらうことができるなら、自分のほうをより整理できるかな、という発想である。 「スピリチュアル・ジャングルの探求者」とは、なんとも魅力的な言い方だが、はて、スピリチュアル・ジャングル、とはいかがなものだろうか。たしかにスピリチュアルな世界はジャングルのような魅惑的でもあり、生命力溢れる場所でもあるが、混沌とした世界でもあるし、常に生死を問われる危険が満ち溢れている世界でもある。 そこを「探検」しようというのである。勇気、好奇心、強靭な体力、判断力、そしてほかの人にはわからない秘密の楽しみかた、それらのいくつかの要素が要求されるに違いない。しかし、ふと我に返ると、私は「スピリチュアル・ジャングルの探求者」というカテゴリに入るだろうか、と疑問が湧き出す。私は「ジャングル」を旅している、という自覚はないようだ。せめて、「ワールド」くらいの感覚だろう。そして、冒険や探検ほどの「決意」はなさそうだ。せめて、ヒッチハイカーくらいの軽いノリだろうか。あるいはちょっとカッコつければ、フィールドワーク、くらいは言ってみたいか。 「これまでは、クンダリーニ・ヨーガや霊能力に比較的比重が多かったのですが、今年の後半は、クリシュナムルティを中心とした只管打坐について検討してみる記事が多くなりました。」 この方は、精神世界の道をクンダリーニ・ヨーガと只管打坐と、大きく二つに分けている。この二つに代表していいものかどうかは異論があるが、その意味するところはわかる。 「クンダリーニ・ヨーガというのは霊能力やアストラル・ボディを相手にするものですが、そのルートをたどれる人というのはこの世的なものにあまり価値を感じることが生まれつき出来ないようなタイプの人に向いているのです。リアルでは、部屋に籠もって誰にも会わないで、アストラルで神霊と対話して楽しむなどの、いわば神秘家とか、幻想者みたいな人がそれにあたります。」 たしかに私は「この世的なものにあまり価値を感じることができないようなタイプ」ではない。この世的な意味においてだろうが、「神秘家」や「幻想者」にも興味津々である。トンデモ本も眉唾ながらも、目を通してみたくなる。しかし「そのルートをたどれる」かとどうか、ということになると、まったく自信はない。 しかしまた、人生において、すべてほどほど、so soで過ごしてきた私には、「クリシュナムルティを中心とした只管打坐」にも大悟徹底はできそうにない。そう言えば、この方は「冥想」という言葉を使われている。なんらかのこだわりがあるのかもしれない。普段は「瞑想」を使うほうの私だが、まぁ、言葉にはあまりこだわらない、ちょっと「いい加減」なところが私にはある。 「従って今の人々の大多数に勧めるとすれば只管打坐の方だろうと思うに至りました。」 勧めるものがなんであろうと、私自身は、人々に「勧める」ものなどあるだろうか。もちろん、他の人々に関心がないわけではない。しかし勧めたり、薦められたりすることに、現在の私はあまり関心は強くなさそうだ。敢えていうなら、つながろうとする意志ならある。つながったり、インターフェイスを整えたりすることに、エネルギーをそそいでみたい、という気持ちはある。そのあたりから、いわゆるマルチチュード的な考え方に関心を持つのだろう。 「このようにようやく冥想手法の大方針が固まったことから、次は迷宮のようなと言われるこのブログのまとめのようなものを来年早々に作って、スピリチュアルなジャングルの探検者の人に参考になるようなものができればと思っています。」 やっぱり、ご自身でも「迷宮のような」と言われている自覚はおありになるようだ。しかし、その「ブログのまとめ」のようなものが出てきそうなので、興味深々というところ。 「いよいよな時期が近づいていることから、その緊張感は無意識に感じている人が多いことと思いますが、浮足だたないでまず冥想を。」 近づいているという「いよいよな時期」とはなんだろう。つまりは「アセンション」といわれる諸潮流のことだろうか。あるいは、もともといずれにしても、時間は足りない、という意味では、いつも「いよいよな時期」である、という意味だろうか。いずれにせよ、この方のこのブログのこの文章を鏡として使うことによて、私自身の「まとめ」ができそうな気がする。その結果は、いずれ別な形でまとめることができるかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.12.31 13:11:59
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