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地球人スピリット・ジャーナル1.0

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2009年4月1日

地球人スピリット
・ジャーナル2.0


へ引越しました。

2008.11.10
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カテゴリ:mandala-integral


「一九九九年地球壊滅」 <1>
桐山靖雄 1988/12 平河出版社 単行本 394p
Vol.2 No.378  
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 チベット問題 → チベット密教 → 密教、という流れができてくると、どうも、脳裏をかすめるのが、どこかで聞きかじった桐山密教、という言葉。もうすでに死語なのか、もともとそういう概念はなかったのか、あるいは、やっぱりいいかげんだったのか、とにかく良くわからない。

 そこで、一度確認してみようかな、と思ってネットで検索してみると、有象無象の情報がでてきて、やはりうんざり。あれを、全くの門外漢ながら、我がブログのなかの「密教」のなかに入れ込むことはできない。何冊か、彼の本もあったはずだと思ってわが蔵書を見てみるのだが、ひっこしの際、ほとんど段ボールに詰め込んで廃棄処分してしまったようだ。

 その中にあって、一冊だけ残っていたのが、この本。いや、残っていたのではない。出版直後に一度購入したのものの、1999年に地球が壊滅しなかったことを確認し(笑)、やはり他の本と一緒に廃棄処分となったことは間違いない。しかし、どうしても、気になって、最近、古書店のワゴンセールに出ていたので、とりあえず再入手しておいたのだった。

 著者の存在を知ったのは、1972年、高校生の頃、当時、隣県に住んでいた菅原秀氏の部屋に泊めてもらったときのことだった。当時学生だった彼がどうして、それを持っていたのか知らないが、後年「ジャーナリスト」となる彼の鋭いアンテナに引っかかったことは間違いない。そこで私は「密教食」というものを見せられた。修行僧のような格好をした著者がカラー刷りされた箱の中に入っていたのは、さまざまな粉末が混合された、きな粉のようなものだった。

 一袋ごちそうになったはずだが、味のほうはよく覚えていない。その効能たるや、なお不明。それ以後、個人的にはなんの関心も持てなかったが、あの粉末をあれから35年以上飲み続けていたら、今ころ、こんな私でも密教の極意に到達し、超能力でも身についていただろうか・・・。いや、そんなことはあるまい。

 その後、著者の名前を意識したのは、1977年になった頃。著者の妻が代表となる出版社から「ザ・メディテーション」という雑誌が創刊された。日本の出版界では出色の出来事だったと思うが、この時の広告に「横尾忠則といくOshoアシュラム旅行」みたいなものがあり、お、これはぜひ行きたいと思ったことがある。この旅行企画はキャンセルになり、私は別途他の旅行代理店の企画でインドにいくことになったのだったが。 

 私は、この雑誌がH出版社というところから出ていたことに、なにか違和感を感じていた。その後、 「虹の階梯」1981/7や「曼荼羅イコノロジー」1987/08などもこの出版社から出るに至って、その本の内容よりも、どうしてこの出版社からでるのだろうという、違和感が先にたってしまい、それらの本に距離間を感じてさえしまうのだった。この出版社と関係が良好だったと思われる吉福伸逸氏などの、トランスパーソナルとやらの一連の動きにも、この出版社との関係が気になって、どうも乗り切れなかった。

 別に、一読者に、出版社の好き嫌いがあることも許されると思うが、しかし、70年代から80年代にかけて、この手の「精神世界の本」の出版の先鞭をつけた、という意味で、このH社は正当に評価はされるべきだろう、とは思う。

 この出版社から、桐山本人が出した本はたくさんあるが、その中でも記念碑的存在の一冊が、当ブログの「麻原集団事件」関連リストの口火を切っている 「オウム真理教と阿含宗」1995/7だろう。詳細はさけるが、この著者の団体が、あの忌まわしい事件になにごとか関連してしまったことは否めない。

 1987年にインドに行った時、彼の教団にいたという人と出会ったことがある。出だしの頃の、結構貧しい時代の弟子であったようだが、雨漏りのする施設で、今日は竜神がおりたなぁ、などと感慨にふけっていたとかいないとか、そんな噂を聞いたことがあるが、よくわからない。キャンプファイァーみたいな両界曼荼羅護摩壇を焚いて、なんとか祭りとかをやっているらしいし、それに参加したことのある人の話も聞いたことがある。だけども、どうやら私は縁がないらしく、そういう話にはちっとも感心しない。

 著者に対しては、そんな印象しかないのだが、あちこちに建設された施設の維持も大変だろうなぁ、などと同情しつつ、この「一九九九年地球壊滅」だけは、気になってしかたない。1988年11月にでた本なので、売上を稼ぐために1999年を売りにしているのはしかたないとしても、題材の大きなものとして、Oshoの本を、ほぼまるまんま写しまくっているページがたくさん、あるということが、どうも理解できない。

 作品の中で、バグワン・シュリ・ラジニーシ師の文章を引用させていただいた(「魂への犯罪」)。私とても、同様の趣旨の文章を書いて書けないわけではないが、師の文章を引く方が適切であり、かつ、作品の構成上、必要だったからである。一部引用だけでは誤解されるおそれもあるので、同書の全文をお読みすることをおすすめする。
 尚、作中に登場するラジネンシは、架空の人物であり、実在のバグワン・シュリ・ラジニーシ師とは全く無関係であることをおことわりしておく。1988年11月7日 著者しるす  
p394

 ここまで引用しておいて、実在の人物とは全く無関係であります、と口をのごってしまうところが、いかにも著者の著者たるゆえんだが、この文章がちょうど20年前に書かれていることに気づいて、ちょっと、当ブログにメモしておこうかな、と思ったのだった。

 1988年の1月、バグワンはふたたび、ヒマラヤ山中のアシュラムに入った。以後、バグワンは、ほとんど人の前に姿をあらわさなくなるのである。
 三年後、アシュラムからも、かれは姿を消す。
 かれを慕う信者たちは、つぎつぎとアシュラムをおとづれるが、バグワンの消息について何も知ることはできなかった。いろいろな説が流れたが、ニルヴァーナに入る霊地を求めて、深い定(じょう)に入ったのであろうという説が、人びとをなっとくさせた。
p38

 この文章が著者本人の手によるものなのか、この手の本によくありがちな、ゴーストライターの手によるものなのか定かではないが、1988年において、「ラジネンシ」を消してしまったのは、なにゆえだったのだろうか。1999年の危機を救うとする高山聖峰とやらに、自らのイメージをだぶらせて、ひとり救世主たることを誇示したかったのか、いずれも定かではない。

 幸いにして1999年の災危は危惧に終わったのだが、最近は2012年にまつわるエピソードを積極的に流そうとする動きもある。おなじ時代におなじ地球上に生きている人間同士として、同じような問題意識を持つことはあり得ることであるし、同じようなイメージを持つことは、大いにあることだろう。特に384pに挟まれている口絵は興味深い。これは、寝小便小僧だった自分が、小さい頃から何度も蒲団の中でソソウをしながら、見てきたイメージにほぼ近い。

 

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Last updated  2013.12.23 04:54:23
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