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カテゴリ:バック・ヤード
ネグリ&ハートの「マルチチュード」を追っかけているうちにスピノザにけつまづき、スピノザを追っかけているうちに、西洋哲学全般に目を通すようになっていった。その広がりの中で、世界中の哲学者たちを一瞬氷りつかせたと言われるウィトゲンシュタインは出色の魅力があふれている。当ブログでは十分な追っかけはできなかったが、捲土重来を期す。 ソクラテス以来の西洋哲学の終着点とも思えるウィトゲンシュタイン。西洋も東洋もない、地球時代において、あたらしき地球哲学ともいうべき新局面への橋渡しはどのように行われたのか。ちょっとイカレたホモ野郎ではあったようだが、そういった意味ではなくて(*^~^*)ゝ、やっぱり魅力的な存在ではある。Oshoも絶賛。
ウィトゲンシュタインと来たら次はハイデガーか。ハイデガーときたら、日本ではこの木田元ははずせないようだ。当ブログでもリストはまだ作ってない(そのうち作成予定)が木田本は結構めくってみた。この「反」の文字が何ともいい。「反密教学」とか「反」哲学とか、さまざまな使い方があるようだ。なんだか、地球の端っこまできてしまって、そこから折り返し地点のような、限界の土地のようなイメージがある。 哲学のさいはての地にたどりついたのだろうか。あるいは、結局、哲学というみしらぬ土地を尋ねる旅人たちは、ついぞ帰らぬ人となるのであろうか。それではまるでシャンバラを訪ねてヒマラヤの奥地を歩いた巡礼者たちのようだ。西からさらに西に行った者と、東からさらに東に行った者の到達点は、お互いの出会いの地であった、ということになるのだろうか。
西に旅人あれば、東にも旅人がいる。インドからチベットへの伝わった仏陀のダルマは、チベットの地において、マンダラとして結晶化した。マンダラはひとつの到達点。ここにもまた折り返し地点がある。神秘化をはかるのにもほどがある。いい加減なところで、オープン化しなければならない。 トップ・シークレットはオープン・シークレットだ。ヒマラヤの奥地に、人知れず洞窟に秘されるものだけが真理ではない。街の雑踏のなかの、野良犬の枕になっているボロきれにも真理は宿る。「スピノザ」カテゴリは、最初はスピノザ本一冊を読みこもうという企画だったが、はやばやと敗退し、さまざまなカテゴリエラーのエントリーの入れ物になった。だからこそ、面白い効果がでた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.19 16:56:48
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