わたしには、すべてのことが許されている。しかし、すべてのことが益になるわけではない。「わたしには、すべてのことが許されている。」しかし、わたしは何事にも支配されはしない。
(1コリ 6:12)
![27547 後光.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/33/0000261833/42/imgb829bce4i7cops.jpeg)
パウロの言葉を読んで、彼の自由な姿に感動します。
それをとりながら、なおすべての人にとって有益なこととは何かを考えています。
人は、どちらかといえば、自分中心に考えて歩めば、人とのかかわり方を無視してしまいますし、また、人との調和を重視すれば、そのしがらみに縛られ、身動き一つできない不自由さを感じていまいます。
それだから、フリーターを希望する若者がいるというわけではないだろうと思いますが。
自由でありながら、自由でないことを喜ぶ、すなわち神の愛によって自ら奉仕していく、愛の鎖につながれ、人々とかかわりあっていく、それがパウロが言おうとしていたことであろうと思います。
それは、イエス・キリストを通して、神の愛が明らかにされたことをこのすばらしいニュースを伝えたい熱意がありました。
すべてのことが許されているが、何かをしなくてはならない、何かに支配されているのではない、自由なる精神で愛によって仕えていくことを求めたのです。
それは、キリストが、歩まれたその道と同じように、キリストに倣う者となりたいのです。
それほど、キリストの愛は、大きく、魅力的であり、何の代価も払うことなく、すべての人を捕らえ、すべての人の必要を満たし、すべての人に益をもたらし、すべての人を自由にし、すべての人を愛によって結び合わせてくださるのです。
天の父なる神様、私たちを自由にし、愛によって結び合わせてくださることを感謝します。
(人気ブログランキングに参加しています。
これを読んで「そうだ
」と思ったら、ぜひ下のバナーをクリックしましょう。)
人気blogランキングへ