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テーマ:心の病(7312)
カテゴリ:聖書のことば
52:13 見よ、わたしの僕は栄える。はるかに高く上げられ、あがめられる。
いよいよイザヤ書53章の苦難の僕(しもべ)の預言です。第4のしもべとして登場するこの人物像は、人々の予想とはまったく違う、意に反する形で書き始められます。13節前まででは、イスラエルの回復とバビロンからの帰還、さらに神の全知全能なる力の賛歌が、いかにも力強く表現されています。さて13節の「見よ」と注意を促すところからこれから語られることの重要性がわかります。ここでこの第4のしもべが「栄え」、「高く上げられ」、「あがめられる」と書かれています。彼の上に神の威光が現わされることを強調しています。それでは、どのように高められ、高く上げられ、あがめられるのでしょうか。一転14節以下から、この苦難のしもべの描写が始まります。彼の苦難を通して彼の上に神の栄光が現わされるというなんとも意味の解らない記述となります。さらに53章の苦難の描写が終わり、54節以降、また力強く回復の預言、自由への預言、帰還の預言と続いていきます。まるで明るい力強い預言の基調のなかで忽然とその苦難のしもべが登場してくるという構成になっています。「彼の姿は損なわれ、」とは、多くの人々の期待して見ていた姿が、大きく変わった、幻滅した、壊された姿です。また、「人とは見えず」とあるように人としての尊厳が失われています。「人の子の面影もない」ここで人の子は、イエスキリストが好んでご自分のことを指して言われた言葉ですが、「人の子」すなわち神の子として持っていたはじめの姿がここではもうなくなったと言う意味でしょう。彼が、苦難を受けることが神の栄光をあらわすこと、誰もこの出来事を予想することもできないほど衝撃的であり、ことばを発することすらできないほど大きな悟りを得ると預言しています。まさにイザヤ書の不思議な記述ですね。当時の人々は誰のことを指して言っているのかまったく解らなかったと思われます。
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Last updated
2006.06.21 17:59:03
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