|
テーマ:心の病(7312)
カテゴリ:聖書のことば
53:1 わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。
イザヤ書53章から、新しい民が神によって立てられます。そのことのための始まりとしての苦難のしもべが登場します。1節のことばは、誰も信じることのできないほどの計画があると言ます。メシアの登場は、預言されても誰もいつ、どのよう来るか、想像できないことでした。「主はその御腕の力」を誰にもこれほどまでに示したことがないほど明らかにされると言います。メシアの輝きや力を彼の上で輝きます。 2節には、しかし、すぐに「見るべき面影がなく、輝かしい風格も、好ましい容姿もない。」と預言します。いったいどうしてかこのことが起こるのか、この間に何があるのか、これだけでは理解不能です。キリストの登場によって、この反転が、キリストの受難の予告であることがわかります。キリストは捕らえられ、辱めを受け、鞭打たれ、侮辱され、人々に見捨てられ、十字架に架けられました。それは3節のことばのように成就します。「彼は軽蔑され、人々に見捨てられ/多くの痛みを負い、病を知っている。彼はわたしたちに顔を隠し/わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。」のです。それは、預言者イザヤに与えられたこの苦難のしもべの記述には、決して誰も知ることのない、悟ることのできない深い救済の意味が隠されていたのです。 (人気ブログランキングに参加しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.06.22 11:50:38
[聖書のことば] カテゴリの最新記事
|