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水棲馬(3)

  愛すべき魔性たち
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「姫様・・・クローネ様・・・?」
乳母のマルゴーが、クローネの部屋の扉を叩いた。
この屋敷に移って、はや十日余り。
クローネは日を追うごとに口数が減り、この2、3日は、とうとう昼も夜も自室に籠もったきりだ。
今日も軽い夕食をとった後は、余人が話しかける隙も与えず、部屋に戻ってしまった。
ノックの音に、クローネが扉を開け、顔半分だけ覗かせた。
「クローネ様、どこかお加減でも・・・」
「マルゴー、お願い、そっとしておいて。」

クローネは、乳母の言葉をさえぎった。
「この屋敷にいる間だけは、我が侭をきいて頂戴。私は大丈夫だから・・・。」
扉が、再び閉ざされる。
彼女の瞳に、何か青みがかった影を見た気がして、マルゴーは不安を募らせた。
(ひょっとして、ここからなら・・・。)
年老いた乳母は、侍女達の伝統的手法を駆使することにした。
鍵穴に当てた目をこらして部屋の様子をうかがったマルゴー。
だが次の瞬間、彼女は短い悲鳴をあげて、尻もちをついていた。
「ひっ・・・・・!」
正面にすえられた幅広の寝台の上で、クローネが男と睦み合っている。
いや、それは男と言えるだろうか?
半人半馬・・・ケンタウルスより余程おぞましい、脚だけではない、その頭部は完全に馬のそれであった。
(あぁ・・・っ、姫様が、魔物に魅入られてしまった・・・・!)
マルゴーは腰を抜かして立ち上がることも出来ず、じりじりと這って後ずさりしたが、数歩も進まぬうちに背に固い物が当たり、彼女はひやりとした。
「マルゴー殿・・・!」
イアンが、彼女の異様な有り様に怪訝な顔をして立っていた。
「一体、どうなさった・・・・クローネ様に何が・・・?!」
反射的に、マルゴーは首を横に振った。
何故ここにイアンが居るのかは知らないが、とにかく彼はランスの部下なのだ。
この事がランスに知れれば、婚約破棄に成りかねぬではないか!
しかし、イアンは引き下がるはずもない。
「ランス殿は、何もかも察しておられる!つつみ隠さず、申されよ!!」


「クローネ・・・クローネ・・・・」
アーテルが、彼女の名を幾度も呼ぶ。
(たかぶ)りが醒め、人心地つくと、解けかけていた姿を取り戻すこともできた。
だが、まだどことなく具合がおかしいようで、アーテルは、はみ出た尾の辺りをしきりと気にしている。
「しっぽ・・・・また出てる。」
クローネが、いたずらっぽく笑って、彼の尾を指先で弄んだ。
「ん・・・まだ、完全じゃないんだ。」
アーテルはクローネを一度優しく抱きしめると、立ち上がって窓辺に向かった。
「少し外に出て、霊気を集めてくる。」
「あ・・・待って、アーテル。これを着ていって!」

クローネが手渡したのは、丈の長いチュニックだった。
「あなたのために、縫ったの・・・。」
アーテルは目を丸くして、衣を広げたり、明かりにかざしてみたりする。
いつまでも遊んでいるので、クローネが着替えを手伝ってやらねばならなかった。
鏡で自分の姿を確認したアーテルは、声を弾ませて言う。
「嬉しいよ、クローネ・・・!僕、どんどん人間らしくなるね!」
こんな時のアーテルは、本当に子供のようだとクローネは思う。
彼の無邪気さに触れるとき、クローネも己を開放できるのだ。
クローネの唇が、そっとアーテルに重ねられる。
二人は大鏡に映る、愛し合う自分たちを見た。

アーテルが窓の外へ姿を消したのと、クローネの部屋の扉が激しく鳴ったのは、ほぼ同時であった。
だが今度は、主人の許可無く扉がうち破られた。
部屋になだれ込んできたのは、乳母と屋敷の下男、そしてイアンほか数名の騎士達である。
イアンは目当ての姿が見えないことに気づくと、窓から外を見やり、すぐさま部屋を飛び出していった。
「姫様、お許し下さい・・・魔物からお守りするには、こうするしかっ。あの凶馬は、イアン殿が始末して下さいます!」
クローネにすがるマルゴーの様子も、この突然の状況も、彼女は理解できずにいた。
魔物とは、アーテルのことを言っているのか?
ならば、始末とは・・・・?
「姫様は、騙されておいでなのです!あれは、生きた人間を水に引きずり込んで喰らう魔性のもの・・・兵の死体を喰らい、馬盗人を殺し、この屋敷の周りでも子供達が行方知れずに・・・っ。」
アーテルが人を襲う・・・そんなはずが無い。
あの優しげで、純真なアーテルが・・・そう否定しようとした彼女へ、マルゴーが涙ながらに訴える。
「あれは・・・あれは、魔獣アッハ・イシュカ・・・・!」
乳母の告げる言葉が、クローネの意識の遠くで乾いた響きをたてた。

*     *     *

水棲馬・・・アッハ・イシュカ・・・伝説に聞いた、人を殺める魔性。
ランスが急ぎウィンダミアに馳せ参じたのは、翌日も午後を回ってからだった。
主と認めた者には従順で、名馬ともなると・・・。
アーテルも、それを追ったイアン達も、屋敷には戻らなかった。
「クローネ・・・・!」
ランスが部屋の片隅でうずくまる婚約者の姿を認めたとき、淡い光が彼女の周囲から飛散した気がした。
血の気を失ったクローネは、抗う力もなく、易々とランスの腕に抱かれた。
「クローネ・・・教えて下さい。アーテルは、どこに・・・?」
ランスの問いかけに、クローネは選択を迫られていた。


燦々(さんさん)と夏の陽光が降る泉のほとりで、彼は寝そべり、ころころと体を転がしている。
下草の感触を楽しむようなその様子は、まるで子馬がじゃれているようだった。
「アーテル・・・・だな。」
ランスが近づいても、彼は我関せずといった風である。
「イアン達を、どうした・・・。」
アーテルは目を閉じてアザミの花を食(は)みながら答えた。
「知らないよー。」
一閃。
ランスが抜きはなった剣を、アーテルは後方への跳躍でかわした。
「手荒なことするなよ。この服、汚したくないんだ。」
自慢げにチュニックの袖をはたいてみせるアーテルに向かって、ランスが剣を構え直す。
「疑念・・・怖れ・・・焦燥、嫉妬・・・・。心から、ご同情申し上げるよ。」
アーテルは憐憫の微笑みを浮かべた。
「だから、あんたには何もしないつもりだった。婚約者に災いがあれば、優しいクローネがどれ程苦しむか・・・・。」
ポタリ・・・ポタリ・・・
ランスの背後に、足元に、赤い水滴がしたたる。
「側に居られるなら、クローネが誰と結婚しても構わなかった。でもね・・・僕たちの仲を引き裂くのは、許せない。」
アーテルが、前に足を踏み出した。
その禍々(まがまが)しさに気圧(けお)され、ランスが片足を引く。
「あんたは、二度も僕を殺そうとした・・・。これで、三度目だ!」
アーテルの瞳だけがギロリと動き、上方を指し示す。
視線の先をたどったランスの喉奥から、声にならぬ叫びが洩れた。
頭上には鬱蒼と茂り風にそよぐ樹々、その枝という枝に無数の肉塊・・・。
ひときわ強い東風が吹いて、雨のように血しぶきがランスの肌を打つ。
枝に飾られた遺骸の一つが、鈍い音を立てて地表に墜ちた。
「・・・っ、イアン・・・・イアン!!」
食いちぎられた上半身がほとんど原形も留めていない中、苦悶に歪む顔だけが無傷で残されたのは、ランスへの見せしめか。
「おのれ、魔物め・・・・!!」
怒りに駆られたランスの剣が、アーテルの喉を精確に貫いた。
しかしアーテルの口もとには笑みが張り付いたまま。
ランスの手がひどい熱で焼け、剣が飴細工のようにどろりと溶け落ちていく。
「そんなもので、傷つけられるとでも・・・?」
アーテルの腕が静かにランスの首へと伸び、締め上げていく。
男が口中で唱える祈りに、魔性の無情な宣告が下された。
「無駄だよ。人間の神の支配など、受けない。」
ランスの首が、音を立てて軋(きし)み始めた。
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