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水棲馬(4)

  愛すべき魔性たち
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獲物を仕留める最後の力を加えようとしたアーテルの耳に、彼の名を呼ぶ声が届いた。
「アーテル・・・!!」
そこには、震える手で弓をつがえたクローネの姿があった。
「その手を離しなさい!」
渋々腕の力を緩めランスを解き放ったアーテルは、楽しみを奪われ、ふてくされている。
その様子が、クローネに全てを知らしめた。
「・・・あなただったのね・・・本当に・・・何てひどい事を!人を殺して食べるなんて・・・!!」
「だって、クローネ、そうしなければ人間の体を手に入れられなかった。人間が家畜を食べるのと同じじゃないか。・・・・それにこれまで、ちゃんとクローネの大切な人達には手を出さなかったよ?」

ランスさえ邪魔しなければ、すべて上手くいった。
母親を味方につけようとする子供に似た瞳で、彼はクローネの理解を求める。
「・・・分からない・・・あなたの言っている事・・・私は人だから、あなたのした事を許すなんて・・・出来ない!」
クローネが弓矢を引き絞る。
「だめだ・・・奴には、並みの武器では効かない・・・。」
アーテルの足元に倒れ伏していたランスが、朦朧とした意識の中、かろうじて半身を起こし声を絞り出した。
「クローネ・・・逃げるんだ・・・・っ。」
ランスの懸命な訴えを、アーテルはうるさそうに冷笑した。
「逃げる?逃げた方がいいのは、クローネじゃなく、あんただよ。今の内にね。」
痛む右腕を押さえ、ランスがよろめきながら立ち上がる。
彼は、アーテルに背を向けなかった。
頼るべき剣は無い・・・だがアーテルの目から顔をそらさぬ彼の左手がゆっくりと動き、胸元の徽章に触れた。
騎士である証。
マチウス公の、そしてクローネの護り手である誇り。
アーテルの中で、苛立ちが憎しみに変わった。
「ランス・・・あんたを乗せたこともあったね・・・。あの時、川にでも引きずり込んでやればよかった。ただ人間だというだけで、クローネの側に居る資格を誇ろうというなら、思い違いだと知るがいい・・・・!」
アーテルがクローネの顔を振り仰いだ。
「動かないで・・・・!!」
出会ったのは、クローネの決意に満ちたまなざし。
青ざめてはいたが、彼女はアーテルの胸に狙いを定めた弓を離しはしなかった。
「・・・クローネ・・・・・。」
アーテルには、理解できなかった。
「本気で、僕を・・・・射るつもり・・・・・?」
何も間違ってはいないはずだった。
彼女はランスよりも、自分を愛しているではないか。
人間の体を手に入れた自分と、彼女は喜びを分かち合ったではないか。
「人の武器では、あなたを傷つけられない・・・でも、今の私ならどうかしら。」
彼女はランスを守って、自分を射ようというのか。
つい昨日の夜、愛を囁いてくれた彼女が・・・!
「妖精達が教えてくれたわ・・・私の中に、新しい命が宿っている。精霊と人の子・・・・私とあなたは、いま同じ世界にいるのだから・・・・私なら、あなたに触れられるのだから・・・・っ。」
何事か言葉を発しようとしたアーテルに、彼女は言い放った。
「さあ・・・二度と人に干渉しないか、この場で射殺されるか、選びなさい!!」
「クローネ・・・・なぜ・・・・!」

アーテルの絶望が瘴気の黒い渦を生み出し、周囲を呑み込んだ。
渦は彼の側に立つランスを巻き込み、全身を蝕まれるような痛みにランスが呻きを上げる・・・・・その声にクローネは、つがえた弓を放っていた。

クローネの矢は瘴気を薙ぎはらい、アーテルの心の臓を貫いた。
その瞬間、アーテルの人型が解け、闇色の馬体が天を仰ぎ崩れ落ちた。
すべてが一瞬の出来事であった。
クローネの目に、矢を胸に受けて倒れた愛しい者の姿が映し出される。
「アーテル・・・!!」
呼び声に向けて立ち上がろうというのか、アーテルが前脚を力無く動かした。
クローネが駆け寄って触れると、彼の想いが流れ込んでくる。
生きる世界を共にするからこそ、感じ取れるようになったもの。
アーテルの心にあるもの・・・それは怒りでも憎悪でもない、ただひたすらに深玄とした、哀しみであった。
「どうして・・・どうして、逃げなかったの・・・・!」
徐々に力を失っていく体を、彼女の涙が濡らした。
苦しげにもたげた彼の首に、クローネはしがみついて泣いていた。
「アーテル・・・アーテル・・・・私は・・・・っ」
少しでも熱を引き留めたくて、彼女はアーテルの体に身を寄せ、唇を当てる。
クローネの温もりを確かめて、アーテルの目が閉ざされた。

 僕は、ただ欲しかった・・・
 君を呼ぶ声・・・
 君を抱きしめる腕・・・・


アーテルの体が風に溶け去り、クローネのすすり泣く声だけが後に残された。
やがて彼女がゆっくりと身を起こし、ランスの右手に触れると、アーテルに焼かれた痛みと傷が癒えていく。
ランスは、彼女がもはや人の世界の住人ではないことを悟った。
「クローネ・・・・」
彼女の名を呼んだとき、二人の周りに光の雪が降りそそいだ。
空を見上げたクローネに、天上から白い腕(かいな)が差しのべられる。
「・・・・シルフィード・・・・・」
風の精霊が、彼女をいざなう。
    
    導きましょう クローネ・・・
         あなたと精霊の子・・・遙か東 安息の地へ・・・


クローネは、両腕を天に捧げた。
「待って下さい、クローネ・・・!私は、あなたを・・・・っ!」
刹那、目を開けることの出来ないほど吹き荒れた西風。
再びランスが視界を取り戻したとき、そこには降り積もる光だけがあった。

*     *     *

私はベッドの中で寝返りをうったり、時々イシュカの顔をのぞいたり・・・そんな事をしながら、結局最後まで、彼の語る哀しい伝説に聞き入ってしまった。
「・・・・人と精霊の子・・・それって、もしかしてイシュカの・・・?」
「うん・・・・僕の、ご先祖様。」

イシュカが、水棲馬・・・人を食べる魔獣の末裔・・・・?
思わず私は、恐ろしい想像をしてしまった。
まさか、イシュカも・・・。
「だからね、ロマちゃん。僕がこうして人間になる力を持ってるのは、僕に人の血が流れてるからだって・・・・おばあちゃん言ってた。」
そ、そっか・・・良かった。
イシュカは人を食べたり、そんな必要ないんだ。
何だかよく分からないけど、とにかく私は、ほっとした。
「ロマちゃん・・・・。」
な、何・・・?
突然、真顔のイシュカが、私にぐいと顔を近づけてきた。
ちょこっと開いた口元に、ぎらりと犬歯が光る。
よく見ると、頑丈そうな歯並びですね・・・・って
や、やっぱり喰われる?!
必要じゃぁないけど、おやつです、みたいなっ?!
「ま、待って、それは困るっ!!いやーーっ!!!」
「ロ、ロマちゃん・・・ダメ?」

ダメも何も、誰が率先してエサになりますかっ!!
「でも、僕、ロマちゃんが好きだよ・・・。」
いや、だからっ!
好きで食うのは、人参だけにしてぇっっ!!!
私の心の叫びを無視して、力いっぱい羽交い絞めしてくるイシュカ。
もうだめだ、逃げられない!!
「人間と精霊だって、幸せになれるよ・・・・!」
・ ・・・・・
・ ・・・・・・・・・はい?
「僕たちの愛の力で、種族の壁なんか、乗りこえられるよっ!」
誰と誰の、愛ですと?
しかし。
そんな私のツッコミもかすむほど、今日のイシュカは真剣だった。
「僕・・・僕、人間になれて、本当によかった。ロマちゃんのこと好きって、ちゃんと伝えられる・・・。」
そう言うとイシュカは、はらはらと涙をこぼしていた。
「・・・イシュカ・・・・。」
そっとほっぺを撫でると、またぎゅうっと抱きしめられた。
「好きだよ・・・大好きなんだよ、ねぇ、分かってくれてる・・・?」
「・・・・・・うん・・・。」

思わずそう答えた私のおでこに、イシュカは何度も口づけをした。
柔らかい感触が、だんだんと降りてくる。
私のまぶたに・・・ほほに・・・そして・・・・。
あぁ、本当に・・・本当に不覚だけど私は、イシュカとキスしてもいいかなぁと思ってしまった。
「ロマちゃん・・・。」
彼の指が私の指に絡められ、唇が寄せられる。
イシュカの息が、限りなく近く感じられる・・・。
イシュカの香り・・・イシュカの・・・・・・・・・・

「・・・・・むわぁぁぁっっっっ!!!!」  
ドカッ!!!
私は奇声を発して、無意識にイシュカを蹴り飛ばしていた。
「に・・・・っ人参くさぁぁっ!!!」
ゲー。
思わずもよおす程の、すんごい人参臭。(失礼。)
「あ、あんたねぇっ!チューするなら、歯ぐらい磨きなさいよねっ!最低っ!!最悪っ!!変態っ!!」
期待をそがれ、ムキになって怒りまくる私の足元でイシュカは・・・
こてん。
ベッドの下に転げ落ちていた。
その後、いそいそと歯磨きしてきたイシュカとキスなんて・・・当然するわけないっ。
その日から、「人参は1日2本まで」、「食べたらすぐ歯磨き」が、我が家の鉄の掟になった。
      
       最初のキス(未遂)は
             人参のflavorがした    
                           ロマ。


         
       <愛すべき魔性たち 第一話 水棲馬 完>
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