日中歴史共同研究が始まることを報じた19日の読売新聞の解説面には、次のよな解説記事が掲載されていました;
北京に赴任して半月余りたった。この季節、この街は毎朝、零下10度近くまで下がる。そんな中、日中関係にかかわる何人かの中国人から「とても良い時期に来ましたね」と続けて言われた。もちろん、気候の話ではない。日中関係が10月の安倍首相の訪中で、修復へと舵(かじ)を切ったことを指している。
彼らは「日中の明るい話を書いて下さい」と語りかけ、そろってこんな風に言っていた。 「安倍首相が靖国神社に参拝しなければ、すべてうまく行きます。大丈夫です」
確かに日中関係は安倍訪中でずいぶん変わった。11月、ハノイで行われた安倍首相と胡錦溝国家主席の会談では北朝鮮の核開発など様々な問題が協議されたが、胡氏は「靖国」と「歴史」には言及しなかった。
小泉首相時代、中国首脳が会談の度に二つを持ち出し、怖い顔でクギを刺していたのとは様変わりだった。中国は、経済実利を得るために関係改善へ本腰を入れ始めたということだろう。来年は、まず温家宝首相の訪日が確実視されている。
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この流れを受けて今月26、27日、北京で「日中歴史共同研究」の第1回会合が開かれる。「歴史に対する客観的認識を深めることで相互理解の増進を図る」のが目的で、日中各10人の有識者が「古代・中近世史」と「近現代史」を研究していく。
「歴史」について、日中の識者が議論するのは、歓迎すべきことだ。しかし、現実問題として議論はかみ合うのだろうか。
こんなことを思うのは、同じく政府の肝いりで2002~05年行われた「日韓歴史共同研究委員会」の例があるからだ。昨年、同委員会が大部の報告書をまとめて解散した時、ある日本側の参加者は「議論はすれ違いが多かった」と漏らしていた。
近代史をめぐっては韓国側から、こんな質問も出たという。
「関東軍って、日本の関東地方の軍隊ですか」
「戦時中、日本の空軍は何をしていたのですか」
ご存じの通り、関東軍は、日本の関東とは関係ない。また、戦前の日本に空軍は存在しなかった。陸軍、海軍に航空隊が置かれていた。日本側の参加者は、これらの質問を受けて「くらくらした」と言っていた。
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日韓の研究がそうだったからといって、日中も同じだと言う気は毛頭ない。ハノイでの日中首脳会談で、胡主席が「(歴史共同研究を)重視している。関係部門もしっかり準備している」と語った通り、中国側は精鋭をそろえ、「歴史」論争を挑んでくるのだろう。
むしろ日中の場合は、議論がイデオロギー色を帯びるのを警成すべきかもしれない。中国は一党独裁の国であり、言論の自由はない。歴史解釈権も共産党が握る。「日本の侵略」をめぐり金太郎アメのような主張が延々と続く可能性もある。
「文芸春秋」最新号に、日中の論客各2人による「激突!日中大間論」が載っている。中国側の1人は、今回の歴史共同研究の中国側座長に決まった社会科学院近代史研究所の歩平所長。彼は、こう語っている。
「中国の研究者は共産党のイデオロギーの足蜘(あしかせ)をはめられている、という意見がありましたが、それは間違いです。一研究者として自分の見解を自由に述べているのです」。日中歴史研究は、どんな熱いバトルになるのか。中国側の″自由な主張″に特に注目したい。
2006年12月19日 読売新聞朝刊 13版 15ページ「共産国家との論戦 注目」から引用
この記事を書いたのは読売新聞・中国総局の河田卓司だが、偏見と認識不足が伺われる。日韓歴史共同研究のことを否定的に書いているが、相手側が「関東軍」の呼称を知らなかったり、日本軍の組織について無知であったなら、それはこちらから教育してやればいい話で、そのための共同研究であるとも言える。従って、初めての試みとしては十分成果はあったと私は思う。
また、現在の中国は共産党独裁で言論には一定の制限があるかもしれないが、しかし、学問の自由がまったく無いということではない。たとえば、南京大虐殺の被害者数を、中国政府は30万人と言っているが、中国のまじめな歴史学者で自らの文献に「被害者数は30万人」などと記述する者はいない。もちろん、最初から理想的な共同研究が行われて完璧な歴史認識に到達するなどということは期待できないであろうけれども、理想に向かって一歩踏み出す意義は大変大きい。河田記者には、くだらない与太記事を書いてるヒマに、中国の人々の生の声を報道していただきたいものだ。