右翼のテロが朝日新聞阪神支局を銃撃してから20年になる今年、朝日新聞は1日の社説で右翼テロを批判する長文の社説を掲載しました;
(前半省略)
そんなテロと暴力の流れの中で、80年代に起きたのが赤報隊の事件だった。
犯人は事件を起こすたびに声明文を通信社に送りつけたが、「50年前にかえれ」というぐらいしか具体的な要求を示さなかった。
だが、犯行の引き金になったと思われる手がかりがある。首相の靖国神社参拝と復古調の教科書の問題だ。
88年3月、静岡支局に爆発物を仕掛けたとき、犯人は中曽根康弘前首相と竹下登首相に脅迫状を送りつけた。
中曽根氏は85年の終戦記念日に靖国神社に参拝したが、中国や韓国の反発で、その後は取りやめた。中曽根氏は当時論議を呼んだ復古調の歴史教科書の検定でも、中韓の反発で再修正を求めた。
そんな中曽根氏を赤報隊は「裏切りもの」とののしり、靖国神社に参拝しなければ処刑すると竹下首相を脅した。
朝日新聞は当時も、首相の靖国神社参拝に反対し、教科書問題でも批判的な姿勢をとっていた。
赤報隊は犯行を重ねることで恐怖をふりまき、新聞や政治家を自分の思う方向に持っていこうとしたのだろう。
そうした犯行は過去のものではない。
経済同友会の小林陽太郎元代表幹事の自宅に火炎瓶が置かれたのは05年1月のことだ。小林氏は当時の小泉純一郎首相の靖国参拝について「個人的にはやめていただきたい」と発言していた。
昨夏には、参拝を批判していた加藤紘一元自民党幹事長の実家と事務所が放火された。靖国神社へのA級戦犯合祀をめぐる昭和天皇の発言を報じた日本経済新聞社に火炎瓶が投げつけられた事件では、右翼の男が逮捕された。
慰安婦問題を中学校の教科書に載せたことに対し、教科書会社幹部や執筆者に脅迫状が届いたことも忘れられない。
気になるのは、テロや暴力に対し、政界や経済界の動きが鈍いことだ。加藤元幹事長の事件で小泉首相が犯行を批判したのは、ずいぶんたってからだ。
それどころか、石原慎太郎東京都知事は、北朝鮮外交を進めていた田中均外務審議官の自宅に発火物が仕掛けられたことについて、「あったり前の話だ」とテロをあおるような発言をした。
テロが起きた場合、政治家や経済人がすかさず強い姿勢を示す。被害者が自分と違う意見の持ち主であっても、である。それが暴力をふるう者を孤立させ、テロの芽を摘むうえで、欠かせない。メディアが暴力に敏感に反応しなければならないのはいうまでもない。
自由な言論を揺るがすのは、むきだしの暴力だけではない。
地域や職場で、他人と違う意見を言うだけで奇異な目で見る。「ノー」と声をあげる人をつまはじきする。そんな雰囲気が広がっていないか。
赤報隊が使った「反日」という言葉は、いまや雑誌やネットにあふれている。自分と相いれない意見を「反日」や「売国」と決めつける。そうした一方的なレッテル張りが、問答無用の暴力を誘い出してしまう。そんな心配がある。
憲法施行から60年を迎えた今春、またも長崎市長が銃撃され、伊藤一長氏が亡くなった。
「われわれは暴力を憎む。暴力によって筆をゆるめることはない」。小尻記者が凶弾に倒れたとき、私たちは社説でこう書いた。その決意を新たにしたい。
2007年5月1日 朝日新聞朝刊 13版 3ページ「社説-言論はテロに屈しない」から引用
中学生の歴史教科書から従軍慰安婦の記述が無くなったことについて、それは事実であったかどうか疑いがあるから削除されたのだなどと間違った理解をしている人を時折見かけますが、それは明らかな事実の誤認であり、実際には上記の社説にあるとおり、右翼が教科書関係者を脅迫した結果、教科書の販売を優先する出版社が慰安婦問題を記述しなくなったというのがこれまでの経緯です。
>「ノー」と声をあげる人をつまはじきする。そんな雰囲気が広がっていないか。
これは、ありますね。当ブログで、私が「ノー」と言う主旨の書き込みをすると、すかさず中傷の書き込みが入りますからね。(^^;)
>自分と相いれない意見を「反日」や「売国」と決めつける。
そうそう、これも多いです。正に、民度が疑われる事態といえます。