社会学者の宮台真司氏は、立憲主義の意義を理解しない無知な政治家たちが憲法改悪を策謀していることを、次のように批判しています;
戦後の日本は、米国に従属して経済発展を遂げました。対米追従による経済成長の枠組みを支えたのが、憲法九条と安保条約。軽武装の日本を守ってもらうべく、基地提供をはじめとして米国に便宜を図るものです。
冷戦体制が終わり、共産主義から西側を守るという米国の大義名分が消えました。米国の軍事行動が世界からひんしゅくを買い、対米追従が国益を損ねがちに。国益を守るには、軍事と外交で米国から自立する必要が出てきました。
護憲を唱えつつ対米追従を批判する人がいますが、護憲と対米自立は同時に成り立ちません。「重武装・自立」か、「軽武装・依存」か。それが国際政治の常識で、「軽武装・中立」にはコスタリカのような傑出した外交能力が求められ、今の日本には到底無理です。
対米自立には重武装化が必要です。反撃を予想した敵に攻撃を控えさせるべく、弾道ミサイルなどによる対地攻撃を軸とした反撃能力が要るのです。それには集団的自衛権を超えた憲法改正が必要となり、「周辺国の国民の感情的手当て」と「文民の戦略的外交能力」も求められます。外交と教育の積み重ねが必須ですが、完全に手付かずです。
次善策として、米国からの無理な要求を拒むために、集団的自衛権の行使を許容する「憲法改正」と、国連決議など多国間枠組みで行使に歯止めをかける「安全保障基本法」を組み合わせるやり方もあります。
アフガニスタン戦のイージス艦派遣やイラク戦の自衛隊派遣は、事実上の集団的自衛権の行使です。現行憲法が歯止めにならないなら、新たな歯止めが必要です。それには「集団的自衛権の許容」と「多国間枠組みへの従属」が必要だということ。
ただ、憲法が「国民から国家への命令」であるという基本的理解すらない無知な政治家ばかりという現状では、私はいずれの憲法改正にも反対です。改憲は十年早い。
憲法は、国家への国民の意思を書いた「覚書」です。戦後日本に、この憲法でいいという「憲法感情」はあっても、国家をどう操縦するかという「憲法意思」が乏しい。だから何が書かれていても空文化してしまう。
意思なき国民が大半になれば、憲法は紙切れ同然。大事なのは、憲法に何が書かれているかではなく、国民が何を意思するのか。ルソー(仏の哲学者)のいう一般意思だから、日本人の大半がそう思っている、と日本人全員が思えなければなりません。
それには、国民の八割が投票して八割が賛成するといった圧倒的意思が、示される必要があります。低投票率でも憲法改正ができる与党の国民投票法案では、国民意思の集約にならない。どうも憲法というものを分かっていないようです。
2007年5月8日 東京新聞朝刊 12版 30ページ「試される憲法-国家操縦の『憲法意思』大事」から引用
コスタリカのように軽武装で中立を実現するには傑出した外交能力が必要で、今の日本の政治家ではとても無理という指摘には、大変がっかりさせられます。
また、政治家に、憲法が「国民から国家への命令」であるという基本的理解が欠けているのは問題です。議員を選出する国民の間に、まるで江戸時代の百姓のような気分の人たちがいるのが原因だと思います。このような状況では、憲法改正は10年早いという宮台氏の指摘は正にそのとおりで、私もそう思います。