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テーマ:政治について(19887)
カテゴリ:歴史認識
ルポライターの鎌田聡氏は、侵略戦争遂行の精神的支柱だった靖国神社が、戦後も存在し続ける問題について、10月25日の東京新聞コラムで次のように述べている;
2011年10月25日 東京新聞朝刊 11版S 25ページ「本音のコラム-『英霊』か『犬死』か」から引用 戦前の日本は、学校教育で国民に皇国史観を叩き込み、異なる考えの思想家や作家を虐殺するような社会であったので、国民が戦争で死ねば神として靖国神社に祭られるのだと教え込まれると、中には疑問を感じつつもおとなしく従うしかないとあきらめた国民が多数いたに違いない。中には「死んで靖国で会おう」などと、国家権力にはまことに都合のいい発言をするお調子者もいて、マスコミでもてはやされたらしい。そのような時代であれば、戦死者が靖国神社に祀られても、遺族はそういうものだと諦めたかも知れないが、現代は、思想信条の自由、信仰の自由が保障された社会であるのだから、侵略戦争を美化する神社に「英霊」として祀られるのは屈辱であるとの考え方があってもおかしくはない。国民として「納税の義務」はあるが、「英霊として祀られる義務」などというものは無いのであるから、裁判所は旧弊に囚われず、現代的な判断を下すべきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年11月15日 18時05分14秒
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