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テーマ:ニュース(99733)
カテゴリ:社会問題
当ブログ7月27日の欄に、週刊朝日臨時増刊号のデイビッド・ケイ氏の「日本のメディアは忖度せず、連帯して安倍政権と戦え」という記事を引用したところ、Pulfield@LogOut さんからは、次のようなコメントをいただきました;
当ブログ7月27日のコメント欄から引用 先ず最初は、タイトル、 >タイトル:マスコミの正義って誰が証明し担保するんでしょ? 私が思うに、マスコミは報道機関ですから、その報道機関に対し「こいつらは本当に正義なのか? 悪ではないのか?」という問題の立て方がおかしいと思います。報道機関で働く記者たちは朝日新聞でも産経新聞でも、それぞれの記者が「これは報道する価値がある」と考えて、取材し裏を取り記事として印刷するのであって、そういう活動に対し、「これは正義か? 悪か?」という設問は、あまり意味がないと思います。ただし、報道も人間のすることですから、時には間違いが起きることもあり、誤報として関係者が責任を取らされることもありますが、それは「正義ではない証拠」というわけではなく、不幸にして起きた不祥事というものでしょう。ただ、どんな報道に対しても、私たちは盲目的に信じるのではなく、常にメディアリテラシーに注意を払うべきなのであって、誰かが証明して担保してくれてるから安心して信用できるなどというものではないことは言うまでもありません。 >まるでマスコミ=正義、安倍政権=悪の権化と言ってますねぇ… 政治権力は放置すると腐敗するというのは、古今東西の人類が経験してきたことであって、そのためにマスコミによる権力監視が重要であるというのは、日本だけではなく欧米の常識です。その上、総務大臣が番組内容によっては電波を止める、などという暴言を吐いて首相がそれを是認するのですから、報道を抑圧しようという安倍政権の姿勢は明白であり、国連特別報告者が、民主主義を守るためにはマスコミは安倍政権と戦うべきだと発言するのは当然と思います。 その他、思い上がりとか傲慢とか、いろいろ指摘していますが、何万何千といる報道関係者の中には、能力や感性など様々な人たちがいるのですから、中にはとんでもない失敗をする人もいるのは、致し方のないところであって、そういう点だけを取り上げて、「これがマスコミの本質だ」というような言い回しは、必ずしも本質を言い当てているとは言えないのではないか。 結局、この「マスコミの正義云々」という議論は、個々の警察官の不祥事を指して「警察の正義って誰が証明し担保するんでしょう?」と言ってるようなものではないかと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年08月01日 13時28分49秒
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