「マクロ経済学」の影響 9
多くの方々が関心があり、私に届く読者からのお便りで一番多い、恋愛と結婚の悩みについて、「マクロ経済学」を結びつけて応用して書いてみています。好評ですので、続けてみますね。「マクロ経済学」の、ちょっと先の将来をシュミレーションして予測する手法です。まだ結婚前でパートナーをこれから見つける女性は特に、「ペン」にくっついている「キャップ」になろうとしないほうがいい、依存しないでフィフティーフィフティーの関係のほうが、長いスパンでみると、結局はパートナーから大切にされます、ということについて説明を数回にわたって書きました。最初のスタート地点で「ズレ」があると、年月が経てば経つほど、そのズレはどんどん大きくなっていってしまいます。誰か男性にぶら下がって、依存して生きていこうとする姿勢、つまり従属物の「キャップ」に成り下がって楽をしたいと考えることは、「玉の輿願望」ですよね。玉の輿願望とは、自分には何も無くて自分は何もしなくても、誰かステキでお金持ちな男性が現れてくれて結婚してくれたらいいなあと願うことですが、それには、長い目で見ると「男性から愛され続けて大事にされ続ける」という点では大きな落とし穴があるのですよ。男性から、女性として大切にされ続けるのが大変になってくるのです。キャップは、「自分で努力せずに」「自分では全く何もせずに」「若さを武器に」という状態で、男性と知り合うとします。そのとき、キャップは、玉の輿願望をかなえるために何をするでしょうか?王子様を確実にゲットしたいがために、彼に「尽くす」ことでしょう。「世話を焼く」「彼の身の回りの家事をやる」「手料理を作り続ける」などなど、彼に尽くして尽くして、彼の気を引く作戦かな?・・・これも、やりすぎると、「尽くしてもらう」ことを求めている男性、家政婦さん役の女性を理想とする男性が寄ってきてしまうのですよ。片や、「お金持ちで学歴があるステキな男性」を求めていて、片や、「尽くしてくれる家政婦さん役の女性」を求めていて、そういう利害関係でニーズがあって、くっついてしまうことになります。特に親密な結婚を、そういう利害関係や条件で探そうとすると、お互いに利害で一致した、仕事のような関係の結婚関係になってしまいます。だから、条件をあまり計算しすぎて、玉の輿願望を持つのは、あまりおすすめではありません。最初のスタート地点が、「尽くして気を引くこと」だったら、そのような家政婦さん役を、ずーっとやり続けなくてはならなくなります。そして、そういう「キャップ」としての家政婦さん役をし続ける人生は、結局、「人間」として「ペン」としての自分を、その男性に「消費されている」ことなのですよ。「キャップ」になれて男性にぶら下がって楽が出来たな、得したな、と思っていても、長い目でシュミレーションして見てみると、「消費され続ける」女性になってしまうのです。そんな人生がずっと続いたら、女性としてすり切れていってしまいます。だから、何事も、結局は、自分で何も努力しないでぶら下がって楽を出来るということは、ないのですよ。(カルマの法則でもあてはまりますね。)プラスマイナス=ゼロなのです。ですから、女性も、「キャップ」にならずに「ペン」として生きて、男性に依存せずに、フィフティー・フィフティーの関係を保って、「人間」としてパートナーから尊重されて、「女性」として消費されないように、「女性」として大切に扱ってもらえるようにする人生を選ぶ方が、おすすめです。そういう、スタート地点の女性の価値観と考え方の違いは、時間が経つほどに、20年後、30年後以降に、だんだん現れてきます。シュミレーションは、すごく視野を広げて、長期的スパンでやってみましょう!