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CAPTAINの航海日記

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2006.12.09
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カテゴリ:鉄道忌避伝説
この日記にも何度か書いてますが、いわゆる鉄道忌避伝説って、はっきり言って、眉唾物だと思ってます。
私の地元の福島県北部、阿武隈急行沿線に伝わる「東北本線は阿武隈川沿岸を走る予定だったが、地元の反対で走らないことになった」という伝説だって、東北本線が敷設された1880年代の土木技術の状況を考えれば阿武隈川を2度も渡りかつ福島と宮城の県境で2,000メートル級のトンネルを掘らねばならない現・阿武隈急行のルートが却下されるのは火を見るより明らかなはず。だって、東北本線(敷設当時日本鉄道)は利根川の鉄橋の完成が周囲の区間よりも遅れたために1年近く栗橋~古河(厳密には古河の南にある中田仮駅)で連絡船を使用せざるを得なかったという過去があるし、2,000メートル級以上のトンネルの建設は1901年に完成した中央本線の小仏トンネルまで皆無だった訳ですから。全国に鉄道網の早期促進が叫ばれていた時代にあっては、そんな(あくまで当時の時代背景の中で)リスキーなルートは普通選ばないですよね。
なのに、待てど暮らせど建設が進まなかった阿武隈急行(旧・国鉄丸森線)の建設促進運動の広まりもあってか、この伝説は福島県では常識化しちゃってるんですよね。
笑えるのは、この伝説、宮城県側ではほとんど知られていないこと。阿武隈急行沿線の角田市や丸森町には同様の伝説が残っており特に角田では「鉄道開通が回避されると住民は提灯行列でお祝いした」なんて話が広まっていますが、この話、全県的には支持を得ていません。だって、宮城県に地理に多少なりとも明るい人間の正直かつ残酷な認識を敢えて言ってしまうと、より人口稠密で結果的に東北本線が通った大河原町や白石市を差し置いて角田や丸森に鉄道が通るはずがないですから。※
福島県におけるケースも同様で、当地に伝わる鉄道忌避伝説は、東北本線沿線の桑折町や国見町よりも阿武隈急行沿線の伊達市(保原町、梁川町)の方が人口が多く、かつ前述の丸森線建設促進運動という背景が加わっての、まさに「伝説」だった可能性が極めて高いと言わざるを得ません。それでも伝説を信じる人は、まず史料を探してください。私の知る限りでは、1960年代に編纂された「福島県史」以前に鉄道建設反対運動を記した書物はないし、その福島県史の文章も、鉄道建設当時の史料にあたって書かれている訳ではありませんからね。あしからず。
でも、鉄道忌避伝説を史実として認識している人って、福島に限らず全国的に少なくないんですよね。歴史って、結局のところ勝者の自慢話と敗者の言い訳。特に郷土史といわれる分野では簡単な検証作業すらなしに単なる言い伝えが歴史的事実として伝えられるパターンが多いだけに、その傾向が強く残っているのでしょう。
だもんで、この辺のもどかしさを上手く伝えてくれる書物がないかなぁ? と思っていたら、このほど、吉川弘文館から「鉄道忌避伝説の謎」(青木栄一著)という本が出版されたので、買ってきました。各地の鉄道忌避伝説を、建設史や地形学など多彩なアプローチから否定的に捉えていくというなかなか読み応えのある本でした。
秀逸だったのは、東京都多摩地区における中央本線(1889年開通)の鉄道忌避伝説(甲州街道沿いの調布や府中の住民の反対で東中野から立川まで一直線に線路を敷くことになった、というやつね)についての記述。関係各市の市史から該当する部分を抜き出して紹介していたのですが、これがまたすごいこと。その大意を抜き出して紹介すると、こんな具合。

「甲武鉄道(現・中央本線)は調布や府中を通る予定だったが東海道線開通後に宿場町の衰退した事例や煤煙や振動による養蚕への被害を憂慮した住民の反対により、現在のルートに決定した」(調布市)
「調布や府中で反対運動があったので、甲武鉄道は第一案を捨てて青梅街道沿いのルートを検討したが、田無の住民が反対を表明し測量を拒否。逆に武蔵野や立川の住民が誘致運動を展開したため、現在のルートに決定した」(八王子市。立川市、府中市でも類似の記述あり)
「甲州街道や青梅街道沿いの地域住民から反対運動を起こされた甲武鉄道のルート案には、三鷹市の新川や野崎を通る案もあったようだ。でもこの地でも住民の反対にあい、結局武蔵野を通過するものに決定した。この決定は、武蔵野が原野で三鷹より発展の遅れた地域だったからなされたのではないだろうか」(三鷹市)
「田無は東京に近い宿場町として繁栄していたため、甲武鉄道や川越鉄道(現・西武国分寺線及び新宿線)の敷設に消極的だった」(田無市(現・西東京市))

ちなみに同書では甲武鉄道のルート決定プロセスについて史料にあたっており、それによると、そもそも甲武鉄道が甲州街道沿いにルートを選定した形跡は見られないとのこと。ではどうして、忌避伝説が流布してしまうのか?
でもこうして見ると、これらの記述から仄見えるのは、結局のところ各地域のエゴ。だって、意見を総合すると「我々の住む地域は中央本線沿線の地域よりも発展した地域だった」ってことなんでしょ。要するに。同書でも触れていたけど、中央本線がこの地域を一直線に突っ切っているのは単にそれが建設上もっとも都合がいいからであり、また、この鉄道の目的地ははるか先の甲府で、そもそも甲州街道沿いの宿場町なんか関心がなかったんじゃないのかなぁ?

※純粋に歴史学的な視点から見れば、これは言い過ぎです。東北本線が開通する明治時代中期の宮城県南部の人口規模は、東北本線沿線も阿武隈急行沿線も大差ありませんでした。





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Last updated  2006.12.10 01:38:04
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