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テーマ:プロ野球全般。(13249)
カテゴリ:野球大好き!
先ほど、YouTubeでこちらの動画を観てました。1954~56年の3シーズンだけ活動していた高橋(トンボ)ユニオンズという球団を紹介した動画です。そう言えば「ユニオン」って「結束」という意味(余談だが玉ねぎの「オニオン」もこの派生表現)だったはずですが、実際のユニオンズは他球団で半ば戦力外になっていた選手の「寄せ集め」で、3年間で一度も勝率4割を超えることがないまま敢無く消滅した悲劇の球団という取り上げられ方をすることが多いですよね。
でも、よくよく考えてみると、ユニオンズが3年間で残した147勝280敗8分、勝率.344という数字よりもさらに低い勝率を記録していたチームがあったんですよね。その名も大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)。奇しくも1955年以降はユニオンズと同じ川崎球場を本拠地としていた球団ですが、実は1954~56年にかけてのホエールズの成績は、106勝292敗2分、勝率.273とユニオンズよりも7分も低いという惨憺たる状況だったんです。 でも、なんでユニオンズが消滅しホエールズが生き残ったのかというと、単純にユニオンズがパ・リーグ、ホエールズがセ・リーグの所属だったからなんでしょうね。つい最近までそうでしたけど、セ・リーグはジャイアンツやタイガースといった人気球団が所属してますから弱小チームでも球場に足を運んでくれるお客さんがいる訳でして… そんなホエールズですが、1956年からわずか4年後の1960年に、突如として日本一に輝くことになります。1950年代後半に即戦力となる大卒の選手を多数入団させた上に西鉄ライオンズで日本シリーズ3連覇を成し遂げた名将・三原脩が監督に就任したことも相俟っての快挙でしたが、もしユニオンズがパ・リーグではなくセ・リーグに所属していたら、恐らく1957年以降も球団が存続していただろうし、ひょっとしたら優勝を争う存在になっていたかもしれないなぁ…なんて想像したりもしますね。 【中古】最弱球団 高橋ユニオンズ青春記/長谷川 晶一 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2021.07.04 14:19:22
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