カテゴリ:哲学
「狂人」と言えば「ハムレット」 あまりに有名なシェイクスピア4大悲劇の1つ、ただ、私はこれに違和感を持っていました。その違和感とはハムレットの台詞 そんなことを考えていた、しかし今日、それと同時に自分で過去に書いた記事が浮かんできた。 「役に立つこと(人)とは役に立たない事を知っているからこそ役に立つこと(人)になれるのだ」 書き方は違うかもしれないが、おおよそこんな感じだったと思う。この私の理論とこのハムレットに対しての疑問はぶつかり合うんじゃないか?私が自分の言ったことに責任を持つためにはハッキリさせなければならない。そう思った・・・ ということで、今回は意識的になるということについて考えたいと思う。 それの題材が「狂う」ということだ。 過去の記事の重複になってしまうが、自分になんの根拠もなく過信すること(自分はいい人だ・自分は頭がいい・自分はなんでも出来る等)こういった考え方が俗にいうポジティブシンキングとして、このように考えたらいいというような見本になってるように見えて仕様がない。 人からどう思われるかはどうでもいいという考え方がありますが、人からよく思われたいと思うのが人の心と思います。その為の考え方として「自分はだめだ」と思うことにより自分をよく見せようという努力をすると思うのです。 ・・・・・・・ッハ!何かとても大事なことを忘れてるような気がしてましたが・・・そうですよ!今回のテーマの根源は「狂うこと」ですよ!www ということで、本題に戻っていきます。さて「狂った人」とは私の理論で言えば「常識を完璧に理解した人」ということになります。そして「常識と自分の感覚がズレている」ということが、狂うということなのでしょう。 まあいいか! ・・・と、うん、哲学のカテゴリーも適当なノリに侵されてきている感をひしひしと感じますw まあそんなこんなで、狂うためには常識を学ばなければならないということです。ただ、私は思うのです「常識なんて存在しない」と(まあこれも世の中で言われてることって気もしますが)こう考えると、私はむしろ狂ってるという概念自体がこの世界に存在する事自体不思議で仕方がないんです。もしくはこうも言えるかもしれません、なんで誰も狂わないんでしょう?常識が存在しないというのに無理矢理常識なんて観念を創りだして勝手にそれにそぐわない人を狂ったとか言う事自体がおかしいと思うのです。 さて、本題ともっとズレる前にこのへんでまとめておきます。「意識的に狂う」ことは出来る!しかしそれは、意識的に自分が世の中とズレていると思うことであって、私からしたらそれは常識という観念自体が狂気の沙汰と思われるということです。
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Last updated
2013/04/27 01:05:17 AM
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