パフォーマー的ラテラルシンキング
以前にも似たようなことは書いたと思いますが、最近新しく読み終えた本よりヒントを得てまた改めて定義付けをしようと思います。ラテラルシンキングとは日本語にすると水平思考です。さて、水平思考とは一体どんな思考法か?という話から入りましょうか・・・この思考法と対比される思考法というのがあります。それが垂直思考と言いう、まあ・・・いわゆる論理的思考法というものです。論理的思考というのはA=B,B=CならばA=Cというように理詰めで考えて結論を導くという方式を取るものであり常識的な考え方と言われるものです。それに対して、水平思考とは論理的に段階を踏まずにA=Cであるというような結論を飛躍して導いてしまうというものです。・・・なんだか凄いざっくりした感覚的な説明になってしまったかもしれませんが、水平思考とは論理的思考に飛躍をもたらす考え方だと思って下さい(少なくとも私はそう思っています)。さて、パフォーマー的と銘打ったからには、パフォーマーの考え方という観点からこの思考法を見ていきたいというのが、この記事の狙いです。さて水平思考の考え方の一つとして物事を様々な視点で見るというのがあります。これはまさに私が手品を演じる時にどんな表現をしようか?どんな演出をしようか?という視点と同じだと思ったんです。手品師に限らず音楽家・役者等というものは一種のパフォーマーであると言われます。パフォーマーであるということは日本語にすると表現者であるということ・・・以上のことから手品師であろうと音楽家であろうと何かを表現出来なければいけないものであると思います。つまり音楽を作ったり演奏できたりさえすれば音楽家であるということは出来てもパフォーマーにはなれないのではないか?ということです。まあ私が音楽について語るのは門外漢も甚だしいので同じような視点から手品師がパフォーマーたりえるのは手品を作ったり手品を演じることが出来るだけでは足りないのではないか?という思考に至るわけです。そう、表現者と言われるからには手品師ならば手品を通して何かを表現することが出来なければならないということなんじゃないかと思うわけです。この思考法は以前から(これまでの記事で書いてたように)私がやってたことなのですが、やはり何か定義付け出来るような名前が欲しかったんです。そんななか、出会った本が「水平思考の世界」この本の中でも手品師は水平思考をしていると書いてましたが、ここで私が取り上げてる意味合いとは違う観点でした。私がやっているのは手品と何か別のものをつなげて考えるというやり方として水平思考を使っていたような気がします。例えば私が今まで手品で表現したものを思い出せる限り上げてみると・・・アレクサンダー・テクニーク、弁護士、英語、聖書の一節を取り上げて演出してみせたことなんかももありました。そのマジックはもちろんクリスマス会でのマジックとしてやったときのことです。どのように手品とそれらをつなげたのかというと、記号(言葉)の単純化という作業をしたんです。物事はすべてある一定のところまで単純化するとある本質的な共通項が見えてきたりするものです。この世界に存在するすべてのものが同じように単純化をしていくことにより本質的な共通項を見いだせるわけではないかもしれませんが、あくまで表現をするという意味では何かのモデル化(単純化)された世界をそこに築くことが不可欠になります。ということで、これは物理学的な考え方にも共通するものなのですが極限まで単純化したものの見方をすると言うのが私の手品を考える時の思考法であるということです。さらに言うなればこれは手品のみに限らず私がこの世界を見る時に使っている視点とも重なってきますが、それはまた別の機会にはなすことにしましょう。