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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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April 15, 2014
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 偶然ですが、先月から今月にかけて、わりと短いスパンで仕事がらみで海外に出ることになりました。

 「やすらぎの里」から帰って数日後、再び羽田から深夜便でフランクフルトへ。仕事での目的地はスロベニアとドイツなのですが、途中の空き時間を利用して、例によって?自分が見たい公演をプライベートで見ることに。現役の女性歌手のなかでもとくに注目している2人、マリエッラ・デヴィーアとチェチーリア・バルトリの主演するオペラです。

 まずはヴェローナへ飛び、1泊して、デヴィーアが主演するドニゼッティ「マリア・ストゥアルダ」を観劇しました。 もう60代のデヴィーア、ヌッチとならんでイタリアの国宝のような存在ですが、日本に来るといつも「椿姫」ばかり。彼女の(特に今の)には、ドニゼッティの女王もののほうがふさわしいと思うので、その手の演目があれば見たいな、というのが本音です。2012年の春、フィレンツェで観た「アンナ・ボレーナ」は凄まじかった。オケのストでピアノ伴奏!というハンデを乗り越えて、完璧な演奏でした。 まあ、異常な状況だから燃えた、というのもあるかもしれませんが。(よろしければこちらをご覧ください)

 http://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/diary/201203190000/ 

 「マリア・ストゥアルダ」も、2006年にローマで見ていて、その時も感服した記憶があります。 

 今回は、2012年のあの時に比べると、さすがにちょっと衰えたかな、という気がしないでもありませんでした。ヴェローナのフィラルモニコ劇場という小さな劇場だったのですが、劇場の音響(とてもデッド)のせいか、平土間に座ったせいか、声のふくらみがちょっと痩せたように感じたのです。。。とはいえ、デヴィーアらしさはまだまだ健在で、彼女の最大の長所である、完璧な技術に支えられた整った様式感のなかでの表現力の豊かさ、そのなかでの声のコントロールの絶妙さ、は十二分に味わうことができました。最後のアリアはまさに「女王」の貫禄。小柄なのに、声も姿も威厳に満ちて、引きつけられました。

 唸ってしまったのは、彼女が出てきて以降、舞台がぐっと引き締まり、共演者たちの調子がぐっと上向いたことです。エリザベッタ役のソニア・ガナッシは、イタリアを代表するベルカントのメッゾですが、出だしは正直不安定で、声の色にもちょっと精彩を欠いていました。それがデヴィーアが出てきたら、刺激されるように調子をあげ、2人の対決の二重唱では手に汗を握る熱演を展開。女性らしい、音色の濃い、毅然とした、ガナッシらしい声と、安定度が戻ってきたのには驚いてしまいました。

 指揮のセバスティアーノ・ロッリは、昨年ブッセートでブルゾンが出た「ファルスタッフ」を指揮していた若いマエストロですが、まだまだちょっと頼りない指揮ぶり。なのに、デヴィーアが出てきたら、これも引っ張られるように乗ってきたのです。まさに、デヴィーアの「プリマドンナ・オペラ」だと実感しました。 

 男性陣では、これもベルカントもので活躍しているマルコ・ヴィンコ(タルボ役)が、ベルカントらしい明るめの音色、安定した技術で健闘。彼、新国でフィガロ役を歌っていましたが、今回聴いた限りでは、やはりこちらのほうが向いています。

 フェデリーコ・ベルトラーニの演出は、イタリアの劇場ではほとんど定番ともいえる、雰囲気を出すのが精一杯、のシンプルなもの。装置らしい装置といえば、窓枠のようなセットを貫く白い柱や、高いところに置かれた玉座くらい。まあ、「歌」を聴かせるのが主眼の公演ですから、こんなものだろうなあ、というのが実感です。新味はないですが。。。チケットも安いですからねえ(ファーストカテゴリーで60ユーロ)。 イタリアの地方劇場の、歌手が売りのイタリア・オペラ(その点、先月モデナで観た「シモン・ボッカネグラ」も一緒です)。いつもながらのパターンですね。 

  で、今回感じた一番の問題は、どうもこの手のオペラは、イタリアでも賞味期限が過ぎつつあるかもしれない、ということでした。

 有名な主役を揃えた割には空席が目立ったし、なんといっても客層が高齢化。日本より顕著、といいたくなるくらいです。歌手を揃えるくらいでは、お客の減少に対応できないところに来ている(カーテンコールは熱狂的でしたが)。曲がり角ですね。なのにお金は削られているから、思い切った冒険もできない。残念です。

 それに引き替え、数日後にパリのシャンゼリゼ劇場で鑑賞した、バルトリがヒロインを歌ったロッシーニ「オテッロ」は、まさに旬!のオペラ公演でした。同時に私にとっては、「目からうろこ」の体験でもありました。作品に対する、さらにいえば、たぶん、ロッシーニのセリア作品に対するイメージが変わった、それほどの体験だったのです。

  ロッシーニの「オテッロ」、生で聴くのは3度目です。いちどはサントリーホールのホールオペラ(セミステージ形式)、そして2006年のペーザロ。サントリーのときはなにしろ、ロッシーニに「オテッロ」があるんだ、というレベルでしたし、幕間にあった知人の、「ロッシーニだと悲劇でも明るくて、アジリタばかりでねえ」という言葉にうなずいている状態でした(実は今でもその言葉は耳に残ってはいるのです)。演奏も、まあ番号オペラだなあ、という域をあまり出ていなかった気がします。2006年のときは、フローレスが出る!というので駆けつけたのですが、フローレスも素晴らしかったけれど、タイトルロールのグレゴリー・クンデとの出会いがエポックメーキングだった公演でした。ベルカントなのにドラマティック。なので、彼が2年前からヴェルディの「オテッロ」を歌い始めた時、半信半疑ながら聴いてみてうなずけた。まあ、そんな印象にとどまっていたのです。

 それが、変わりました。今回の公演で。(ロッシニアンには「何を今更!」とお目玉を食らうだろうことを覚悟の上ですが)ようやく、ロッシーニのセリアが革命的なのだ、と感じることができたのです。番号オペラ云々ではない、ほんとうにドラマティックな音楽だ、という点で(もちろん時代もありますから、ヴェルディとやり方は違いますが)。それも、演奏のおかげです。こんな演奏が出てくるようになったから、ロッシーニが見直されているのだと痛感しました。(ふだん家で聴いているCDがよくない!ということも反省。。。)

 まずはやはり歌手がすごかった。 デスデモナ役のバルトリの、彼女固有のテンパラメント。凄まじい集中力。耳にこびりつく個性的な声。テクニックが人間技とは思えない、ことはいつも通りです。女らしさと情熱、強さともろさの絶妙な同居の天才的なこと。贅沢を言えば、2012年の夏にザルツブルクできいた「ジューリオ・チェーザレ」のように、もっといっぱい彼女のアリアが聴きたかったですが(笑)、まあ作品も違うし長さも違うから仕方ありません。カーテンコールでの拍手は圧倒的で、客席から花束が投げられ、「 brava cecilia!」のかけ声があちこちから飛んでいました。

  オテッロ役のジョン・オズボーンも好調でした。ロッシーニ・テノールとして有名なオズボーンはバルトリともよく共演していますが(2010年に彼女の「ノルマ」(演奏会形式)を聴いたときもポッリオーネ役)、最近はベルカントに加えて「ホフマン物語」などドラマティックな役にも軸足を移しつつあり、クンデに続くタイプになりつつあります(クンデ自身、オズボーンについてそう言っていました)。たしかに「声」が急速にドラマティックに傾斜してきていて、オテッロのような役に過不足がありません。ベルカントらしい明るさと、ドラマ的な濃さのバランスがいい感じです。

 この作品に登場する3人!のテノールのなかでいちばん高いパートであるロドリーゴを歌ったのは、エドガルド・ロシャ。まだ若いですがすでにチューリヒやザルツなでも活躍しています。ロッシーニのリリコらしい柔らかな声で、難役を相当なレベルで歌いこなしていました。もうひとりのテノール、ヤーゴ役のバリー・バンクス、エルミーロ役のバリトン、ペーター・カールマンもそれぞれ上手く、ベルカント歌手はほんとうに豊富だなあ、と改めて思い知らされました。脇役に入るだろうエミーリアも、チューリヒのプリマ、リリアナ・ニキテアヌというのは贅沢です(プロダクションはチューリヒ歌劇場のもの)。

 加えて、個人的に目がさめるようだったのは、ジャン・クリストフ・スピノジ率いる、彼が創設したアンサンブル・マテウス(ピリオド)の演奏。楽器のせいもあるでしょうが、かなりドライな鋭い響きでスリリング。そして何より、「番号オペラ」らしからぬ演奏なのです。連続したオペラとしての側面を強調した「オテッロ」。今回、「オテッロ」のドラマ性に目覚める?ことができたのは、スピノジの指揮によるところが大きかったと感じています。なので、カーテンコールでブラボーと同時にブーイングが多かったのは意外でしたが、意見を異にする聴衆が混在しているということは、それだけ冒険的な演奏だったということかもしれません。

 演出は、最近バルトリとよく組んでいるライザ&クーリエのコンビでしたが、現代に置き換えていることはわかりましたが、音楽を妨げるものではなかったせいか、ほとんど気にならず、ということは意識することもなく、音楽に集中してしまいました。うーん、この公演、もう一度見たかった。そうしたら、もっと色んなことがわかったでしょう。ペーザロのロッシーニ音楽祭では、コアなファンは同じ演目を2度3度と見るようですが、その理由もわかります。 

 客席は満席。聴衆の集中力もすごく、演奏中の咳(バスチーユあたりではほんとうにうるさい)も少なく、舞台同様張りつめた空気が終始客席を支配していました。わかっているお客さんが来ているのだな、という感じでした。さすがパリ、というところはあるでしょう。これ、日本に持ってきたら、いくらバルトリが出ても満席になるのは難しいでしょうから(チケットも高くなるでしょうし、ねえ)。

 とはいえ、これこそ、今の時代だからできるオペラです。ロッシーニ(とくにセリア)が復活してきて、歌手が出てきて、ピリオド楽器のオケがふつうになった今だからこそ、可能なオペラ。それも高いレベルで。この手の公演は、少なくともヨーロッパでは、ますます充実し、伸びて行くでしょう。

  追っかけている2人のプリマのおかげで、「(プリマドンナ)オペラ」の過去、現在、未来をちらと体験することができた、今回の2演目でした。

  






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最終更新日  April 26, 2014 09:24:27 PM


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