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加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

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July 22, 2015
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 モーツァルト最後のオペラ「魔笛」は、ドイツ語圏ではナンバーワンの人気オペラ。オペラ検索サイト「operabase」の統計によると、世界で4番目に上演回数の多いオペラです。(ちなみに第1位は「椿姫」、以下「カルメン」「ボエーム」と続きます)

 日本だけに絞ったこの手の統計はないので(あるいはどこかに統計サイトがあり、私が知らないだけかもしれませんが)、どんなオペラが一番人気なのかはわかりません。けれど、オペラの公演に足を運んでいて、「魔笛」はやはりとても人気が高いと感じます。来年1月、新国立劇場での「魔笛」(再演)も、あるところで鑑賞講座をやるので団体チケットを問い合わせたのですが、これまで同種の講座でとりあげたどの演目より人気で、半年以上前なのにチケット入手に苦労するという経験をしたばかりです。

  今回、全4回の公演のうち3回が完売、唯一完売にならなかった公演でも残席わずか20席だったという大盛況に終わった東京二期会オペラ劇場の「魔笛」(新制作)でも、やはり作品の根強い人気を痛感させられました。

 とはいえ、成功の原因が、宮本亜門氏の演出をはじめとして、パフォーマンス全体の好調にあったことは、言うまでもありません。客席の集中力も高く、カーテンコールもとても沸いていました。

 第一の功績は、やはり演出でしょう。いわゆる読み替えですが、不自然さはまったくなく、それどころか現代人にもわかりやすく、宮本風に遊びをたくさん交えながら、作品世界を解釈してみせたものだったからです。「魔笛」への愛情をたっぷりとにじませながら。

 プロダクションは、オーストリア、リンツの歌劇場との共同制作で、リンツでは一足早く2013年に上演されています。宮本氏は、「クラシカジャパン」で放映された特集番組で、リンツの街や人たちの雰囲気、「魔笛」がいかに愛されているか、そして「せりふの部分は変えるのが当然」といった現地の習慣などを紹介しつつ、今回の演出のコンセプトに触れていました。それは、「魔笛」を「家族の物語」として捉えたことです。具体的には、リストラされたタミーノが、家族の崩壊に直面し、「ロールプレイングゲーム」の世界に飛び込んで、「魔笛」の主人公になって試練をくぐり抜け、戻ってくると家族が復活している、というもの。

  開演前から話題になっていたのは、どうやら「ロールプレイングゲーム」という設定が大きかったよう。なるほど、現代のファンタジーであるRPGは、メルヘンオペラでもある「魔笛」と相性がいいのかもしれません。開演前の舞台の上には、QRコードがでかでかと。コンサート会場にはめずらしく、携帯の電波は開演ぎりぎりまでつながっていて、QRコードであらかじめ楽しむことができます。序曲は、RPGの予備段階。演奏の間じゅう、家族崩壊の模様が示されます。呆然と家に帰り着くタミーノ。パミーナは妻、三人の童子は子供達、父親は弁者。それがばらばらになっていく。そしてタミーノはゲームの世界に飛び込み。。。

  設定からわかるように、今回のプロダクションでは映像が大活躍。それも抽象的なものから具体的なものまでレンジが広く、入れ替わりも素早くて飽きさせません。私の前列にいた小学生くらいの男の子が終始身を乗り出して食い入るように見入っていたのは、映像の効果も大きかったのではないでしょうか。

 具体的な映像で印象に残ったのは、「火の試練」がきのこ雲など、戦争を思わせる映像だったこと(宮本氏が初めて二期会でモーツアルトを演出した「ドン・ジョヴァンニ」が、9.11後の世界をコンセプトにしていたことを思い出しました)と、「パパパ」の二重唱で、パパゲーノがそれこそ戦後のような荒涼とした墓地の風景をバックに首を吊ろうとして、パパゲーナが現れて幸せな二重唱になると、荒野が緑になり、どんどん花が咲いてきた場面。ここは感動的でした。

 けれど個人的に一番面白かったのは、人物のキャラクターが宮本流により具体的に味付けされ、等身大で人間的になっていたことです。 

 「魔笛」の2組のカップル〜タミーノ&パミーナ、パパゲーノ&パパゲーナ〜は、よく、優等生的なカップルと、庶民的なカップルとして対比されます。優等生カップルは王子やお姫様で身分が高く、試練を乗り越えて結ばれる立派な男女。庶民派カップルは身分も低く、試練なんてまっぴらごめんで飲み食いなど世俗の快楽にすぐ身を任せてしまう。けれど2組それぞれに幸せになれるのが「魔笛」の素晴らしい点です。

 宮本版「魔笛」では、この両者の溝?がかなり狭まっていました。まずは、タミーノがリストラされただめ親父、パミーナはそれを見捨てる妻という設定からしてそうですよね。ダメダメ夫婦が、ゲームのなかで優等生になって自分を取り戻す。

 一方、より「立派」?になっているのが庶民派カップルや、モノスタトスのようなちょっとした敵役。今回は、おそらくリンツにならって、せりふの部分は大胆に変えられているのですが、そのなかで彼らはきちんと自己主張をします。たとえばパパゲーナは、せっかく出会ったパパゲーノとの間を引き裂こうとするザラストロの教団のメンバーに「試練なんて!(偉そうに!)」と悪態をつきますし、モノスタトスは、パミーナを手に入れることを邪魔するザラストロに、「覚えておけよ」と捨て台詞を吐きます。彼らは上から押し付けられた権威に従順にしたがったりしない、自分の意見をちゃんともった人間として描かれているのです。

 ザラストロと夜の女王という「支配者」たちは、最近の「魔笛」の演出でもかなりグロテスクに描かれることが多いように思いますが、今回もそうでした。ザラストロは脳みその大きな頭でっかちとして、夜の女王は胸=女性性を強調した支配者として(3人の侍女も同じ)。これはとくに目新しくはないように思うのですが、むしろ新鮮だったのは、夜の女王が最後に滅びることなく、ザラストロと一緒に舞台の裏へ消えていったことです。対立する世界の一方が滅びることで終わらせたりしない。これも「愛」でしょうか。

 そう、今回のプロダクションを通底していると感じたのは、ベタではありますが「愛」です。あらゆる種類の人間への愛。それは宮本氏がテレビ番組でも強調していたことですが、ひとりひとりのキャラクターに生命を与え、長所と欠点を与え、それでもすべてのキャラクターを愛すべきものとして、共感できる対象として描く。宮本演出は、そのことを意図し、成功していたと思います。おそらく、モーツァルトにならって。

 リンツ州立歌劇場でのこのプロダクションの初演の時も指揮をとったという、同歌劇場音楽監督のデニス・ラッセル・ディヴィスの指揮はていねいでやわらか。歌手もよく見てあわせ、暖かなかつ洗練されたモーツアルトの響きを作り出していました。

 歌手陣も健闘していましたが、とりわけ嘉目真木子さんの、澄んだ、表情豊かな、女性的な声のパミーナが印象に残りました。

 字幕もこなれた日本語だと思いましたが、「ら」抜き言葉がいくつかあったのが気になりました。「食べれる」の類ですね。今時は市民権を得ているのかもしれませんが、個人的には抵抗があります。 

  一つだけ気になったのが、せりふをすべてドイツ語にしたこと。(前の二期会の実相寺演出によるプロダクションでは日本語でした)。これは宮本氏もテレビ番組で触れていて、「歌手の方たちの意欲が高い」こともあり、ドイツ語にしたようですが、うーん、出演者の意欲を優先するのか、聴き手の立場を優先するのか、後者ということならばやはり日本語のほうがいいと思います。私個人としては、どうしても「日本語ドイツ語」みたいな発声は気になります。とくにせりふだと目立ちますので。10代の観客がちらほら見られたことを考えても、日本語のほうが親切なのではないでしょうか。

  

 






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最終更新日  July 23, 2015 12:10:53 AM


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