3329663 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

加藤浩子の La bella vita(美しき人生)

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
February 13, 2019
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 クルレンツィス&コパチンスカヤ&ムジカエテルナ事務局長のトークセッションに行ってきました。

 私はこれまで、彼は「アーノンクール以来」、つまり古楽演奏の革命児として、深い研究をもとに作品を新鮮によみがえらせる演奏家としてとらえていたのですが、今回の来日でその印象は変わり、今では「クライバー以来」と思うようになりました。聴衆を巻き込むカリスマ性がある、ということです。それはアーノンクールをはじめ古楽の革命児にはなかったもの。トークイベントは、私にとってそれを裏付けるものになりました。「考えていること」が違う。そして、人間にとって「考えていること」って本当に大事です。最終的に行動を決めるのも「考えている」ことだから。
 
 たとえばの話ですが、古楽の演奏家のインタビューなどみていると、楽譜や作品の解釈や、細かい、マニアックな話になることが多い。それはそれで面白いですが、そういうことばかり考えていても「カリスマ性」っていうのは生まれないのかもしれない、と、今回思いました。
 クルレンツィス(やコパチンスカヤ)の考えていることというのは、当然かもしれませんが「音楽」そのものについて、音楽の役割について、音楽と自分たちの使命について、というようなことで、質問もそこをついたものが多かった。
(はりきって最初に質問してしまったのですが、練りきれていない未熟な質問で、猛省しています。ライブストリーミングされたそうで〜知らなかった〜、お耳汚しと時間つぶしをお詫びいたします)

 たとえば、作品の解釈、作品との向かい合い方について、ですが、「解釈は日々変わる」というのは当然として、「取り上げる作品と波長が合わないとダメ」というのはいかにも彼らしい発言だし、「深いところまで研究しているが、それを表面にどうもってくるか」などという発言(実な事務局長がしていた。彼もすごく見識がある方のよう)は興味深くききました。
 「他にテクノとか面白い音楽があるのになぜクラシック音楽なのか」という質問には、「クラシック音楽ほど素晴らしいものはないから。私は麻薬患者のようにクラシック音楽の中毒」。
 「なぜロシアに行ったのか」という質問には、「私が若いころの80年代は、東欧が崩壊してアヴァンギャルドな時代で、ロシアが一番面白かった。ペテルブルクは19世紀のパリみたいな存在だった」。
 「なぜSWRを引き受けたか」については「ムジカエテルナみたいな音楽をやってくれといわれた。SWRには別のメンタリティがあるが、メンタルが変わる。自由になる。自由は経験しないとわからない」
 
 彼のオケ(バンド)であるムジカエテルナについて「自由なオーケストラ」だと繰り返していたのも納得でした。彼の統率力はあるけど、メンバーが服従するという感じではないんですね。「メンバーが変われば音楽も変わる」と言っていましたが、当然ですね。

 以下語録。クルレンツィス、一見寡黙に見えるけどよく喋ります。けっこうとめどない。昨夏ザルツブルクであるトークショーに潜り込んだ時もそう思いました。
 
 音楽を演奏する目的は「音楽のなかにある精神、エネルギーを実現すること」 
 「コンサートホールでは、さまざまな壁を打ち砕く。自分の魂の壁を打ち砕く」
 「音楽とのコネクションが完成した時、ごくまれにですが天使が笑う瞬間がある」
 「街で聞かれているものと、伝統的なものの両方を聴かないと、音楽はできない。自分は両方を聴いてきた。自由な音楽は学校では学べない。即興ができないとバロックはできない」
 「シューベルトは心が割れないと理解できない。19世紀の作曲家はそれを理解していた」

 「スピリチュアル」という言葉も頻繁に出てきます。なるほどと思ったのは、(売れっ子になったからだと思うけど)「メジャーな路線に乗るのではなく、修道院にオケのみんなとこもって、日が昇る時に瞑想をして、そして音楽をして、時々街に出てくるようなそんなやり方をやりたい」と言ったこと。まあこれって、基本ペルミにこもっている彼らと近いといえば近いスタイルですが、「修道院」という言葉が出てくるところが彼らしい。あるインタビューで、自分は「音楽の聖職者」だと言っていたのを思い出しました。

 クルレンツィスの演奏については、否定的な意見もみかけます。そのひとつに、「オケの精度が(超一流オケに比べて)まだまだ」と言った表現が見られたりします。それは、そうかもしれません。そのようにいう場合、たとえば、ベルリンフィルが最高の指揮者(今ならペトレンコ?)で最高の演奏をした時が基準なのでしょう。
でも、そういう比較はちょっとちがう。ベルリンフィルはプロ中のプロ。一人の指揮者のものではない。でもムジカエテルナはクルレンツィスの分身であり、彼らは同じものを夢見ている。同じ方向を向いて、それを全力で達成しようとする。それこそ「夢」とか(この言葉も頻出)「スピリット」とか「コミニュケーション」とか。そこが従来のオケになかったところであり、多くの人はそれを感じてそこに惹かれるんだと思います。人間の可能性を見せてくれるから。たとえば私だってこの短い時間で「考えていることは大事。もっと大切にしなければ」とつくづく思うようになりましたから。そんなことわかっているといえばそうなのですが、それを心から思わせてくれる。人を変えてしまう、人生を変えてしまうエネルギーがあるんです。

 クル様、近くで見ると(だけじゃないですが)、とても美しいひとでした。47歳!ってけっこういい歳ですが、若い。
 
 通訳の井上さん、いつもながらexcellentでした。

 あ、主催者の方、事前に段取りの打ち合わせくらいはしておいて欲しかったですね。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  February 13, 2019 09:08:57 AM


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

プロフィール

CasaHIRO

CasaHIRO

フリーページ

コメント新着

バックナンバー

June , 2024

© Rakuten Group, Inc.