龍凰大飯店 Dragon Phoenix Restaurant @ LIANG COURT その1
先週末、ベリーダンスのレッスンの後、いつもの様にリャンコートにあるスーパーへ買物に。買物の後、ご飯を食べに行く事にしました。夫曰く「今日の気分は中華!!」との事だったので、この近辺の中華を食べに行く事に。(我が家では外食の時は、基本的に夫主導です。夫の「その日の気分」で食べる物やお店が決定されます。夫が「何でも良い」という時に、私が初めて発言します。)最初はクラークキーでお店を選ぼうかと思ったのですが、ふと思い出したんです。そういえば、リャンコートにも中華料理のお店 龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant があったはずだと・・・。そして、以前私の日記で紹介した 龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant の月餅 がとても美味しかったのを思い出しました。**** 龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant は、シンガポール料理界でいわゆる "Four Heavenly Chefs" とか "Four Heavenly Kings"(四天王とでも言えばいいのでしょうか?)と 呼ばれた一人、Hooi Kok Wai 氏が1963年に開いたレストラン。シンガポール料理を代表するあの「チリクラブ」や、ヤムイモで作ったバスケットの中に炒め物が入っている料理「ヤムバスケット」などを考案したのも彼なんだそうです。シンガポールの中華を語る上で、彼の存在は欠かせない様です。最初にオープンしたお店はマックスウェルロードにあり、その後政府の都市再開発計画により移転を余儀なくされますが、それでも評判は途切れる事無くその後も何度か移転をしながら店舗を拡大しシンガポールの料理界をリードするレストランへと成長と遂げたのです。シンガポールの旧正月で欠かせないお料理で「魚生(ユーシェン)」というのがあります。そう、ローヘイ、ローヘイ!!と叫びながら、皆で輪になってお箸でお刺身とサラダをトスするあのお料理です!!フードライター Teo Pau Lin 氏の Feb 18, 2007 の The Sunday Times の記事によると、このお料理を「お刺身と野菜を一緒に食べるお祝い大皿料理」として考案したのも彼ら "Four Heavenly Chefs" なのだそうです。。その記事から、Hooi Kok Wai 氏と「龍凰大飯店」、「魚生(ユーシェン)」について紹介してみたいと思います。****マレーシア中部の町 Ipohで生まれたHooi Kok Wai 氏は16歳の時に、麺職人である父親と共にシンガポールにやって来ました。18歳の時、彼は当時シンガポールで最も優れた中華レストラン”The Cathay” で料理人として働き始め、ここで盟友3名( Tham Mui Kai 氏(注1), Sin Leong 氏, Lau Yoke Pui 氏ら) と運命の出会いを果たします。(注1:Tham Yew Kai, Tham Yui Kaiとされているサイトもある。龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant のオフィシャルサイトでは Mr. Tham Mui Kaiと紹介されている。)1963年、大きな転機が訪れます。既に彼らは料理人としてその才能を発揮し、それぞれが自分の店を持つ事になったのです。そしてHooi Kok Wai 氏は、ミドルロードに200席もある最初のレストランをオープンさせます。 龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant の始まりでした。その後 龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant は、数々の斬新なアラカルトメニューを生み出し、又お店のコンセプトがバンケットルームスタイルだった事、移転する毎に収容客数を拡大していった事(70年代当時、シンガポール最大の wedding banquets となる )で、急成長と遂げます。当時のシンガポールでは、この 龍凰大飯店 DragonPhoenix Restaurant でWedding partyをする事がステイタスとなり、皆の憧れだったそうです。また、何がお祝い事など特別な事があると決まってこのお店に行くくらい、家族連れに人気のお店だったそうです。***「魚生(ユーシェン)」とは、元々生の魚、いわゆる刺身の事をさす言葉です。新年の7番目の日に正月を祝う料理としての「刺身を食べる習慣(富の象徴)」は、第2時世界大戦以降に中国広東省の沿岸地域からシンガポールへ渡って来た漁師達が伝えたものと言われています。「魚生(ユーシェン)」は、もともと広東省の沿岸地域、江門(Jiangmen)の料理でした。1960年代のシンガポールでは、既に”Fish Porridge”のストールで広東人のグループ相手に生魚を使った粥を出していました。それは、単にかぶと人参の細切りをオイルと酢と砂糖で和えたとてもシンプルな物でした。生の魚を食べるという文化がシンガポールにもたらされて以来、長い月日をかけ試行錯誤の末に定着したスタイルでしたが、今程一般的ではなかったようです。当時、多くの中国人が「生物を食べるという事に対して抵抗があった」事を知っていた偉大なこの4人のシェフ達は、このシンプルな庶民の味にプラムソース、米酢、金柑ペースト、ごま油やナッツなどを使った特製ソースを加え、生の魚にマッチし縁起が良いとされる色彩を考え正月のお祝い料理(家族が集まって賑やかに新年を迎える為の大切な料理)を考え出したのです。***1963年の旧正月、彼らは初めて、そのお祝い料理 ”「魚生(ユーシェン)」”を自分達のレストランで出しました。お箸で混ぜながら「高い位置からトスする現在のスタイル」は、お客さん達の間で発展していったのだそうです。皆でテーブルを囲い、「ローヘイ、ローヘイ」とワイワイ言いながら食べるこの料理は、すっかりシンガポールの新年の代表料理となり、隣国のマレーシアでもみられる習慣です。「ローヘイ」は広東語で「撈起」と表記し、元来の意味は漁師が網を放って魚を引き上げる動作を表しているそうです。引き上げたお魚はお金になることと結びつけられ、そこから「お金を儲ける」、「お金を稼ぐ」という富の象徴としてこの言葉が使われました。「魚生」を食べる際のルール(?)は、各自箸を持ち両手を広げて料理をすくいあげかき混ぜるような動作で高い位置からサラダとお刺身をトスをします。この時に「ローヘイ=今年もお金に恵まれますように」とお願いしながら行います。シンガポールに「お刺身を食べる習慣」をもたらした広東省沿岸の漁師達の旧正月の風習と、シンガポールのお粥屋さんで発展した「刺身の小皿料理」を融合させた新年に欠かせない大皿料理なのです。美味しい「魚生(ユーシェン)」というのを見分けるコツがあって、それは「野菜と刺身とソースを混ぜている時に、皿の底にソースが残っていない事」なんだとか。オイルが多過ぎたり水っぽいソースだと、野菜を混ぜて持ち上げた時に皿の底に残るのだそうです。「魚生」が誕生した1963年、Hooi Kok Wai氏は今やシンガポールを代表する名物料理「チリクラブ」や、ベジタリアン料理として考案された「ヤムイモバスケット(ヤムイモをマッシュしてバスケット状にした物を高温の油でからりと揚げて器にし、中に野菜などの炒め物を入れた料理)」などを考案し、シンガポールの食文化を大きく替えました。****1974年、4人はChin Swee Road に「Red Star Restaurant 赤星酒家」 をオープンさせます。HDBにあるそのお店は、当時人気だった「Wedding banquets style」の雰囲気をそのままに、リーズナブルな価格で今も変わらぬ味を提供し続けています。(4名のうち故人となったり、Red Star Restaurant の経営を離れた方もいらっしゃいます。)彼らの息子や娘達、孫達もシェフとしてシンガポールの料理界で活躍しているそうです。続きはまた次の日記で・・・ 人気blogランキングへ私のメインのサイト「猫のあくび」は、幸四郎の沢山のムービーや写真、シンガポールの知られざる魅力、大好きなアフリカ旅行について紹介しています。ケニアのロッジの様子や、サファリで出会った動物達を沢山のムービーでご覧になれます。東アフリカに興味がある方は、必見です。是非遊びに来てくださいね。