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セラピストMASAの「心の旅日記」 [全731件]
目の前にまた私がいた。 窓の外に海が見える白を基調とした家の中。 ティーカップに注がれたお茶。 立ち上る湯気と香気。 目の前の私は静かに優しく微笑んでいた。 「ああ、この人の微笑みは存在そのものから来ているんだ・・・」と思った。 自然だった・・・何もかもが。 風が通り過ぎれば、ざわざわと木の葉ずれを起こす、森の木々のように。 青い空を鏡のように湖面に映し出し、石を投げ入れれば波紋を返す、清んだ湖のように。 すべてを受け止め、落ちてきた木の実を抱きいれ、やがては緑の苗床となる大地のように。 普通で、自然で、たおやかで、優しい時間が流れていた。 目の前の人は、自分とも世界とも戦っていなかった。 かといって妥協をしていたとか、諦めていた(諦観していた)とか、耐えていたとかそういうのとは違う。 ただ自分の中の調和が、外の世界への調和として反映されたような。 より言うなら、統合されていて分離も矛盾も無く、ただ存在そのものの人であった。 この平安。 にじみ出てくる優しさこそが。 答え。 目の前の人は何も言わなかったけど、沈黙の声が世界を覆っていた。 ああ、そう、私は私だった。 ただ、それだけだった。 そう、それだけだったんだ・・・。
また、クスクスと笑い声。 『今ここを受け入れているかい?』。 『ただただ力を抜いて、もうすべてをゆだねることはできないかな?』。 『わかるかな?、本当の本当にただのあなたでいいのだと、ただそれだけなのだと。前に言った通り、ただ自分に優しくあるだけでいいのだと』。 『もしかしたらそれは世界で一番難しいことなのかもしれないね』。 『でもね・・・本当にそうしたら、すべてがあるべきところに収まってしまうのだよ』。 『葛藤、疑問、理不尽さへの不均衡感、その他諸々のそういったあなたの心残りのようなもの。ある意味で全部置いていくことはできないかな』。 『あなたを見ていると少しおかしく感じることがある。本当はもう出来る事を、まだできないと押し留め続け、その事を成すためにはこれらが必要と、いくつかのことに執着し続けているようにも見えるのだ』。 『すべては終わっているし完璧だったのだよ。あなたの目にそうは見えなくてもね』。 『あなたが自分にすべてを明け渡し、すべてをゆだねれば、流れ着くところに流れ着く』。 『あなたの彼岸へと』。 『ああ、そう。すべては完璧だったのだよ。あなたの物語はね』。 『だから・・・物語にふさわしいすべての結末が待っている』。 『信じてもいのだよ、自分自身を。自分の人生を』。 『まがい物に頼り続けた人々とは異なる、あなたの人生の物語をね』。
まるで大地を押し上げ、芽を出した新芽のように、種の時代に終わりを告げる。 長い長い越冬の日々。 種は土の中で静かに命の満喫を待つ。 そして、時が告げられる。 土の中が世界のすべてであった。 だけど顔を出した世界はまるで違う世界。 それでも時間が、光が、水が、うながし続けたのだ。 この日を。 小さな芽吹き。 でも、新たな世界への始まり。 やがて限りの無い大樹となる。 世界樹。 世界の創造が始まるのだ。 自分と鏡写しの世界の創造が。 新たな人類の時代。 覆い隠されていた真実が明らかになり。 人々は、それぞれが創造主である時代を生きる。
光も影も。 過去にあったことも、今あるものも、未来に訪れるものも。 すべてがあり、平安の時が流れる。 限りの無い平野。 限りの無い意識。 限りの無い理解。 すべてがこの時に。 ここに。 すべてに。 私はある。
優しい場所。 穏やかで、普通で、自然で、たおやかな風のように。 私の心のある所。 こちらとあちらが重なった場所。 生命。 存在そのものが。 少しづつ、少しづつ、浸透していく。 やがては(私に取って)一致し切ってしまう。 もはや離れぬこちらとあちら。 やがて、私はそっと手を伸ばす。 この安らぎをたずさえながら・・・そっと・・・手を伸ばす。
深く、深く、深く、深まっていく意識。 すっと、たどり着いたその場所。 均衡点。 すべてを見渡せる場所。 すべてから離れ、すべてから浮き、それでいながら、すべてと関わり、すべてを支えている場所。 私という個人に取っての創造の始点。 存在そのものであり、生命そのものである場所。 多分、また離れてしまうのだろうけど、その瞬間はその場所にいた。 そう・・・この物質世界にいながらにして、でも、同時にこの場所にいることが、それが日常になり、恒常になること。 やがて、そうなるのだろう。 そのために必要なこと・・・それは言葉にできないけど、この瞬間はわかっていた。 プロセスが完成すれば、本接続とでもいう状態になり、本番が始まるのだ。 その時の私は過去の私と同じ人と言えるのかどうかもわからない。 でも、私なのだ。 私という存在の最も偽りの無い表現としての私なのだ。 私という和音、私という楽器の奏でる音楽・・・。 そう・・・世に流れ出る私という形を取った愛。 ああ、あと、ほんのもう少しで・・・この世界と、あの世界が、完全に重なり合う。 そこに・・・すべてが統合された・・・私がいる。 優しく微笑みながら・・・私はそこにいる。
すべてが愛だった。 愛の欠乏から生じる何かさえ、愛を学び表現するために、愛を深めるために愛から出来ていたものだった。 すべてがもういいのだろう。 一つの旅の終り。 地球を一周してふるさとに帰って来たようなもの。 見渡して見た風景は旅を始めた時と同じなのに。 すべてが違って見えた。 深く深く実感して知ったのだ。 真実を。 すべての中に等しく潜む真実を。 その美しさを。 愛を。 優しさを。 知ったのだ。 あとはその「すべて」になってしまえばよかった。 そしてその「すべて」さえ超えて「一つ」になってしまえばよかった。 完全なる受け入れ。 完全で全面的な自己受容。 限りなく自らであること。 身体を横たえ、その状態になると。 振動を始めるのだ。 身体は温感に包まれ。 身体を感じなくなる。 どこからどこまでが自分の身体かわからなくなる。 境目が無くなる。 細かく振動し。 その周波数は上がっていく。 呼吸も止まる、でも息苦しくは無い。 葛藤は終わりを告げ。 分離を感じ無い。 ただ「それ」となる。 前に書いたものから引用すると。 この振動(振動数・周波数)を限りなく高めたらどうなるか。 例えば多角形の図形があるとして、三角形、四角形、五角形、六角形と「角(角度)」を増やしていったとして、一千角形とかも可能なのだろうし、百億角形とか、千兆角形とかもあり何だと思うが、最終的に何になるかと言うと「円」に最も近くなると思う。 にも関わらず「角(角度)」が存在している内は、どれだけ近づいても「円」に成りきることはできない。 でも、『ワンネス(一つなるもの)』とは、その『円』のようなものなのだ。 『ワンネス(一つなるもの)』が反転(逆転、投影、錯覚)を起こしてできた『大いなるすべて』(オールザットイズ)は、このどこまでいっても「角(角度)」が存在するようなものだ。 振動数が上がるとは、私の実感だと限りなくこの図形の例えの「角(角度)」を増やしていくようなものであり、振動数(周波数)の上昇とは「無限に近い角(角度)」を体現しようとするようなことであり、でも、「角(角度)」を有している内は例え「無限に近い角(角度)」に至っても、『大いなるすべて』(オールザットイズ)の内を出ない。 その最後の敷居を越えると(反転(逆転、投影、錯覚)のからくりを抜けると)、あの『ワンネス(一つなるもの)』に至っている。 その『臨界点』はある。 でも、ある地点からのブレークスルーは出来なかった。 いつも戻ってきてしまう。 時に道を歩いていて、踏み出した一歩の中に、永遠を感じることがある。 無限を感じることがある。 その瞬間、世界が止まる。 その静寂の中、私は葉っぱ一枚の中に宇宙を見る。 世界の完璧性を知る。 でもまた、この二元性の世界に意識も身体も戻ってきてしまうのだ。 それも一つの人生、一つの生き方なのだろうけれども。 でも、私は恒久的にこれらを両立した生き方があるような気がした。 個であることと、全であることと、一つであることが、すべて成り立っている人生が可能な気がした。 二元性の中に埋没しながら、時々一つを感じるという今の生き方も、上記のことは実は成り立ってはいるのだ。 それを悟りと言う人もいるだろう。 それはそれで尊い一つの生き方だ。 でも、私が感じていたのは、必ずしもその生き方でも無かった。 そう・・・可能なはずなのだ。 その方向に行くことを私自身が自然に望んでいたのだから、それは私に取っては真実の道なのだろう。 何度かビジョンで見た『私』は、それを体現している人に見えた。 とは言っても、あの人は本当に普通に自然にさりげなくゆったりと生きていたけど・・・。 私は何だかんだ言って、もがいていた。 悲しんでいた。 不可解に思っていた。 何度か、何度か、その瞬間はわかったと思い、実際に何かをつかんでいる。 でも、また二元性の中に埋没し、「それ」そのものを生きることが出来ない。 その苦しみを抱え続けていた。 でも、多分、そう、多分、『最後の扉』をくぐる方法は、わかっていたのだ。 それは言葉にもならず、人の概念で表現もできないようなものだけど、わかっていたのだと思う。 考えようによってはそれは一瞬で可能なことだし。 考えようによってはそれは長い年月のかかることだけど。 どちらでもいいのだ。 と言うか、そういうことも気にならなくならないとくぐれない扉だし・・・。 そうね・・・このブログでいつ報告できるかわからないけど。 報告できるのかどうかすら定かでないけど。 私は至ってしまっていると思う。 あの終着点へ・・・・・。
『本人は真剣に悩んでいるつもりだろうし、自覚も無いのだろうが、私達から見ればあなたは「まだ迷い続けているふり」をしているだけだよ』。 『私達の見解では、あなたは順当に事を運べば一ヶ月もかからないよ』。 『3次元的な一つの目安で言わせてもらえば、あなたの途中で止まっている大掃除とか大整理とかが終わったころ、大きな転機を向かえているだろう』。 『あなたが今、目の前にしているのは本当に『最後の扉』だ』。 『そしてその扉を目の前にした者の多くが、なぜか恐れからそこから引き返してしまう。それほどまでに自我を失うことを恐れ、魂を乗り越えることを恐れる』。 『でも、あなたは扉をくぐることを決めている。だからこそのこのあなたの言う「わけのよくわからない状況」でもある』。 『あなたを捕らえているものの最後の究極の正体とは、幻影を保持するシステムそのものであり(それは同時に世界を成り立たせているシステムそのものでもあるが)、あなたの個人的なそのよりどころは『ワンネスから引き裂かれた時の痛み』であり、何度も引き戻されてしまうまるで胸に打ち込まれたゴムひも付きの呪いの五寸釘のように感じているものは、あなたが自己設定した「責任を外部に転嫁するために外部設定した対象物」みたいなものだもの』。 『抜いても抜いてもまたいつの間にか打ち込まれている呪いの五寸釘、抜いても抜いてもまた突き刺さっている剣、倒しても倒してもまた生えてくる毒蛇の頭みたいなもの・・・それはある意味で消えないよ。あなたの個人的ケースにおける幻影を保持するシステムの最後のよりどころみたいなものだもの。システム的に消えない』。 『じゃあ、無視するか・・・でも、無視しても消えないだろう。実はあなたは抜け方をとっくの昔に知っている。扉を開ける方法をもうずっと前から知っている。それは人の言葉や概念では説明できないようなものだけど、あなたはすでに本当に知っている。ただそれをきちんとやっていないだけだ』。 『でも・・・もういいんじゃないだろうか?、その扉をくぐることは他ならぬあなた自身の望みなのだから』。 『それに・・・帰って来るとも決めているのだろう。帰って来た時に持ち帰ったものを分かち合うとも決めているのだろう。それがあなたの愛の表現なのだろう?』。 『ここまで来た者の多くの者が本当に引き返してしまう。でもね・・・もう、いいんじゃないか』。 『あなたの愛を分かち合ってもね・・・』。
<朝方、夢うつつの内に見たビジョン> 目の前に優しい眼差しの人がいた。 それは私だった。 その人がただ、たたずんでいるだけで、こちらに伝わってくるものがあった。 優しさ、暖かさ、その存在そのものからあふれてくる平安、安らぎ、そういったものが・・・。 言葉はいらなかった。 あれこれの何かも。 目の前の人は、白い基調の家の中で、手にティーカップを持ち、お茶をすすりながら、ガラス越しに遠めに見える海を眺めていた。 自然で、普通で、ただあるその姿を見ているだけで、私は何かが無言の内にわかり、私の中の何かが癒され行くのがわかった。 この人は未来の私なのだろうか? それとも私の本質なのだろうか? そこには分離の旅を終え、帰り着いた人の姿があった。 ただある人。 答えそのものを生きている人が。 優しい人がそこにいた・・・。 それだけで十分だった。
私が求めるものは何だったのか? セドナやピラミッドといったこの世界とは違う周波数を保持し、別の世界へのポータルやゲートになっている場所を訪れ、そこでこの世ならざる体験をし、その価値に酔いしれること? 宇宙の彼方に真理を求め、宇宙からの訪問者達とコンタクトし、そこから得られる特別さに歓喜すること? 神秘的で超次元的な体験を重ね、人とは違った存在になることで、優越感を得ること? 結果論だけど、人生の旅をしてきて、今ここにたどり着いて見れば、どれもこれも違ったと思う。 いや、やりたい人はやればいいんだ。 その経験も貴重だろう。 そういうドラマを演じることで人生体験を深めたい人はすればいいと本当に思う。 別に批判しているわけでも無い。 でも・・・気付いてしまったんだ。 そう、最も深い真実に。 それでいていつも目の前にあったことに。 真理は、宇宙の果てにだけあるわけではなく、特別の中のみにあるわけでもなく、一枚の葉っぱの中にも、微笑む人の笑みの中にも、当たり前のようにいつも存在していたことに(本当に多次元宇宙にまでまたがる宇宙の構造的にそうなっているのだ)。 特別の中に逃げ込む必要も無く、特殊に価値を見出す必要も無く、ただあればいいということに。 存在そのものが答えであり、生きているということこそが回答だと。 踊らされている人が多いように感じている。 その踊りが本当に楽しければいい。 でも本当は苦しい踊りを、無理に自分に押し付けて、踊っている(踊らされている)人が多いようにも感じているのだ。 余計なお世話かも知れないけど。 普段、こういうことはわざわざ意識しないし、言いもしないのだけれども。 人の手のぬくもりを。 自分の手のぬくもりを。 いつの間にか忘れてしまってはいない? 本当に、本当に、大切なことなんだよ。 人が生まれた時から。 この世界だろうが、別の世界だろうが。 あるものがある。 それを思い出して欲しいんだ。 私は・・・「人」が愛しい。 だから・・・セラピストなんかやっているのだろう。 「人」と「人」が出会うこの世界を。 「愛」と「愛」が出会うこの世界を。 美しいと思う。 そう・・・思う。 |一覧| |