宇宙の仕組みについて・No2
宇宙の仕組みについて・No1の続きです。 それでは前回に引き続き、宇宙の仕組みについて述べていきます。 前回は主に「ワンネス」について述べました。 今回は、いかに「絶対」の「ワンネス」から、私達の経験している「相対」の「多次元宇宙にまたがる宇宙のすべて」が展開していくのかを説明していきたいと思います。 それではこの絶対不変の「ワンネス」から、どのようにして私達から経験している多次元宇宙が生まれたのでしょうか? 何のために? どういうプロセスで? 何の目的で? そして、この経験をしている主体である私達に何の意味があるのか? 実はですね、その答えを人間の思考プロセスで答えることは、正確にはできないのです。 人の持っている概念の枠内で説明なんかできないものなのです。 多くの人がここで引っかかったり、あるいは間違ってしまっているように見えます。 でも、不可知論をここで論じているわけでも無いのです。 どうせ理解できないし、知覚もできないから、論じるだけ不要・無用だと言っているわけでは無いのです(そう言って切り捨てている人もいます「しょせん、わからないことを考えるより日常に目を向けましょう」とか) 私は「理解」をしていますし、「実感」もしていますし、「わかっています」が、人の言葉や概念で説明することはとても困難です。 でも、それでは不親切というものですので、やれる範囲でできるだけやってみます。 太古の昔より、このことに気が付いた人々、それもおぼろげに気が付いた人から、完全把握した人まで、多種多様な人が多くのことを伝え残してきました。 例えば古代インドの古典ではこんな風にいいます「無限であるがゆえに有限を望み、永遠であるがゆえに)(限られた)刹那の時を望んだ」。 そう言えなくも無いでしょう。 古代インド思想でも、イスラム神秘主義のアラビアでも、同じようなことが書き残されています。 「じゃあ、なんでこの完全で完璧で神であるものがわざわざこんな分離された世界を作ったのか?」そして「また完全で完璧で神であるものにまた戻らなければならないような奇妙なことをしてるのだ?」。 言いえて妙かもしれません。 「完全で完璧なものが、そうではないことを経験してみたかった」と言う人もいます。 それも一理あるかもしれません。 でも私が実感として答えるなら(人の言葉や思考形態や概念で説明できないという前提で聞いてくださいね)こんな感じになります。 「答えはワンネスじゃなく、私達にあります」。 「ワンネスからの分離のドラマを、どれだけ最初にワンネスがあってそれからこんな風になったと説明しても無駄です。そういうものじゃないですから。ワンネス自体はまったく不変の実態で動きませんし、変化しませんから。そもそも時間も空間も無いのですから」。 あの、最初にあったのはワンネスじゃなくて、私達にとっては、私達の方なのです。 最初というものも実は無いのですが。 わかっていただけますか? 絶対不変の「ワンネス」から、どのようにして私達から経験している多次元宇宙が生まれたのでしょうか? 何のために? どういうプロセスで? 何の目的で? その答えは「私達自身」の方にあります。 そしてその「答え」を付与するのも最終的に私達自身なのです。 あなたにとってはあなたが。 真に実感するものが「答え」です。 わかりにくいでしょう。ですから宇宙の仕組みの方から述べてみましょう。 宇宙にある真の実態が「ワンネス」しかないのなら、私達が経験している世界って何でしょう? 宇宙にある真の実態が「ワンネス」しかないのなら、地球と言う3次元の惑星でこんな人類の一員たる人間としての体験なんてしようもないでしょう。 これを成り立たせている宇宙の仕組みの真髄は実は「錯覚」なのです。 色々な言葉で表現はできると思います「錯覚」、「投影」、「絶対に対する相対」、「反射意識」、その他諸々。 これから先に述べることは前にも例えとして似たようなことを書いたことがあると思います。 いわゆるアナロジー、例え、比喩、類似のもので述べるものではあるのですが、ただすべての記述の中で一番正確でないものであることだけは覚えていて下さい。 人の思考法や概念では理解できないことを、何とか理解の一助となるように無理やり疑似イメージ化して述べているのです。 さて、完全で完璧でそれしかないものを材料に、無限にして永遠の多種多様なものを経験しようとしたら、どういうからくりを用意しますか? 決してできないことをしようとしたら。 例えですが、こんなことをしたのです。 「それ」しかないものを、それ以外のものもあるように知覚するようにするのに、錯覚を利用する。 説明してみましょう。 宇宙の仕組みについて・No3に続く。