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 地球が見たい!     ― it's my life ―

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Comments

angelicgirlm@ こんにちは、chikyuujinさん ちゃんと掲示板みてくださいっ(笑 chi…
chikyuujin@ Re: angelicgirlmさん angelicgirlmさん、ごめんごめん、掲示板…
chikyuujin@ Re: よこちゃん2007さん エッ! そんなこと言っていただけるなん…
angelicgirlm@ こんにちは! そういえば、掲示板見てくれました?
よこちゃん2007@ Re:生きる(01/01) 写真展などされる場合は、お知らせ下さい…
2007.06.20
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カテゴリ:ひとりごと









    操縦不能に陥ったジャンボ機は、32分間にわたって迷走した。
    ボイスレコーダーには、
    そのあいだのコックピットの状況が、生々しく残っていた。



        ・・・・ アタマ (機首) 上げろー! ・・・・・・・ がんばれっ! ・・・・
        ・・・・ パワーッ! マックパワーーーッッ!! (最大出力) ・・・・

        鳴り響く失速警報音の中で、機長はクルーを励まし指示を出す。
        だがやがて無情にも、対地接近警報音が始まる。



    圧倒的なまでの緊迫感を携えた、
    死と隣り合わせの、むき出しのリアリティがそこにある。
















       0217820.jpg



       「 日航123便 ボイスレコーダー 」

            * ボイスレコーダーに残るコックピットや客室の音声、
              管制官の音声、を短くまとめたフラッシュです。














    1985年8月12日、東京発大阪行の日本航空123便が、
    群馬県の御巣鷹山の尾根に墜落した。
    生存者たった 4人、死亡者 520人の惨事である。

    ジャンボ機が行方不明になった速報、その後の救出報道など、
    夏休みの真っただ中に起きたこの凄惨な事故を、子供心に俺はよく憶えている。

    この事故もまた幼少のころ、
    俺の死生観なり人生観なりに影響を与えたもののひとつだったように思う。





    相模湾上空・高度7200m―。
    東京羽田空港を離陸した日航123便に、ドーンという衝撃が走る。
    金属疲労によって圧力隔壁が壊れた衝撃 (事故調の結論) であった。

    123便の陥った事態は、深刻なものであった。
    方向舵を含む垂直尾翼の3分の2を損失、
    ちょうど赤いツルのマーク部分がごっそり吹っ飛んでしまったのだ。
    この瞬間123便は、油圧操縦システムの全ての機能を喪失、
    つまり操縦不能に陥った。





    この非常に困難な状況のなかでも、クルーたちは決して諦めなかった。
    おもにエンジン出力の微調整によって機体を制御するという、
    綱渡りのような渾身の努力を行い、羽田空港への引き返しを試みようとした。

    だが、30分におよぶその迷走ともいえる飛行の末、
    群馬県と長野県の県境周辺にある山岳地帯で、管制塔のレーダーから消えた。










    n-top-1.jpg










    険しい山岳地で発見され、翌朝テレビ画面に映し出された墜落現場は凄まじかった。
    山肌があらわになり衝突の爪跡を残していた。
    機体は木っ端微塵、瓦礫がごみ山のように散乱していた。

    墜落時の速度は、時速640kmくらいだったらしい。
    わかりやすく言えば、新幹線の2倍以上の速度で激突していったということだ。
    脱線事故など比べものにならないほど、機体がムチャクチャになるのも無理はない。

    ゆらゆらとくすぶり続ける煙が、その凄惨な事態には場違いなほどのんびりと、
    まるで朝もやのように漂っていた映像の記憶がある。
    小説のようなことが現実に起こるんだなぁといった感じで、
    衝撃というよりは半ば茫然と報道を眺めていた気がする。










    20061003202620.jpg


    20061003202549.jpg


    20061003202552.jpg










    だがこの激突のなか、4人が、奇跡的に生存していた。
    ジャンボ機がこれほどまでに無残に墜落することも子供の俺には新鮮であったが、
    この衝突を生き延びた人間がいることもまた同じくらい新鮮であった。    

    救出された4人はみな、機体最後尾にいた人たちであった。
    激突し回転しながら砕け散った機体のうち最後尾部分は、
    山の尾根を飛び越え沢を滑って着地したのだった。





    生き延びた乗客のうちひとりは、俺と同じ年の、12歳の少女であった。
    そのことがなおさら、生と死のドラマを身近に感じさせた。

    瓦礫のなかで、彼女は生きていた。
    500人以上が死ぬなかで、彼女は生き残った。

    命運を分けたのは、偶然にしか見えない可能性の積み重ねでしかなかった。
    救出劇やら事故検証やらが毎日毎日報道され、
    彼女にどこか自分を重ね見ながら、俺はそれを眺め続けた。


    一方この便には、人気歌手の坂本九さんも乗っていた。
    連日のようにテレビ番組で見かける彼が、墜落するジャンボ機に乗り合わせる。
    なんだか信じられないような気がしたが、事実だった。
    そして彼も特別扱いされることなく、亡くなっていた。





    事故の報道を見ながら、あの頃こう強く思った記憶が、
    今もはっきりと残っている。

    死の前では誰もが一緒なのだ・・・・
    そして人は、こんなにも、ある日突然に死ぬかもしれない・・・・











    20061003202550.jpg










    日航123便に乗り合わせたのは、乗員乗客あわせて524人。
    8月12日18:00 羽田発大阪行。
    それは、夕方のラッシュと帰省のラッシュが重なるフライトであった。

    お盆に帰省する家族連れや、高校野球の応援に甲子園へ向かう人々がいた。
    歌手やら女優やら、企業役員やら教授やらも乗っていた。
    それぞれの人生があったであろうことは子供の俺にだって分かった。






    墜落現場から遺体や遺品が回収されると、
    乗客たちが迷走飛行中に書いたメッセージがいくつも発見された。

    機体は60°も左右にダッチロールしながら飛んでいたとされる。
    機内ではさぞ怖かったに違いない。

    死の予感のなかで、彼らは何を思っただろうか。
    乗客に訪れた最期の32分間を想像すると、こころに迫るものがあった。
    そして俺は、もしも自分自身がそこにいたならということを、
    あのころ何度もリアルに想像した。









     n-isyo-2.jpg



       神戸市 河口博次さん

           「 マリコ
             津慶
             知代子
             どうか仲良く がんばって
             ママをたすけて下さい
             パパは本当に残念だ
             きっと助かるまい
             原因は分らない
             今五分たった
             もう飛行機には乗りたくない
             どうか神様 たすけて下さい
             きのうみんなと 食事をしたのは
             最后とは
             何か機内で 爆発したような形で
             煙が出て 降下しだした
             どこえどうなるのか
             津慶しっかりた(の)んだぞ
             ママ こんな事になるとは残念だ
             さようなら
             子供達の事をよろしくたのむ
             今六時半だ
             飛行機は まわりながら
             急速に降下中だ
             本当に今迄は 幸せな人生だった
             と感謝している 」










    墜落現場からは、ボイスレコーダーも回収された。
    コックピットで交わされた会話が、一部文章として公表された。

    そして、やがて音声そのものも報道されることになる。
    そこには、非常事態発生から墜落までの生々しい機内の状況が残されていた。

    クルーたちは32分間にわたり、
    乗客乗員524人の命を乗せた123便の機体を必死に制御しようとしている。
    そのぎりぎりのやりとりに、胸を締め付けられる思いがする。






           「 ハイドロプレッシャー、オールロス (油圧全喪失) 」
           「 アンコントローラブル (操縦不能) 」
           「 ディセンドォーッ! (降下) 」

         鳴り響く失速警報音の中、機長がクルーを励ます

           「 がんばれっ! 」
           「 あたま上げろー! (機首)」
           「 パワーッ! マックパワーーーッッ!! (最大出力)」

         だがやがて、対地接近警報音が始まる・・・・













               我々の物語の結末はただひとつ。

               人生は、それぞれの死をもって幕を閉じる。


















    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





              (注) 画像は、すべて下記より参照しました


                「 日航機墜落事故 東京-大阪123便
                   新聞見出しに見る20年間の記録 」














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Last updated  2008.10.18 01:17:03
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