日本人のルーツ
[ 武奈ヶ岳 山行 vol. 2 ] ぽとっ・・・・・ 森の中でときおり聞こえるその音に、あたりを見回した。 いったい何の音だろう? ぽとっ・・・・・ 傍らの石に腰を下ろし休憩しながら、 やがてそれが、ドングリの落ちる音なのだと気づいた。 はらはらと黄葉が舞い、ぽとりぽとりと木の実が落ちる。 そんな秋の気配が深まる森のなかで思い馳せたのは、 かつてこのクリやブナの森で木の実を拾い暮らした縄文人たちのことであった。 縄文時代 ( 12000年前~2000年前 ) は、 1万年ものあいだ続いた。 弥生時代以降のできごとなどすべて、その後の、わずか2000年の話にしかすぎない。 [ 旧石器時代 ] 縄文時代になる以前、地球は氷河期であった。 人々は、鋭い石でできた武器を使って、 マンモスやヘラジカなどの大型哺乳類を狩って暮らしていた。 そんな日が続くおよそ 2万年前、バイカル湖周辺にいた人類がシベリアから南下し、 初めて、日本となるこの地に足を踏み入れた。 そこは、草原と亜寒帯性の針葉樹林が広がる大地であった。 氷河期、大陸と日本は陸続きであったのだ。 地球の水は氷河期になると、谷を埋めるほどの氷河となって陸上に蓄積される。 その結果、海面は今より100mも低かったのだ。 北海道・サハリンは大陸に陸続きで、ユーラシア大陸に突き出す大きな半島であった。 本州・四国・九州も、ひとつに繋がった弓状の大きな大地を成していた。 そして津軽海峡は今よりもさらに狭く、しかも氷結していた。 その地続きの陸地を、旧石器時代の人々が南下してきた。 食料であるマンモスなどの大型哺乳類を求めて。 [ 縄文時代 ] 1万2000年ほど前になると、地球は温暖化し氷河期は終わる。 氷河が溶け海面が上昇すると、北海道はもう大陸とは陸続きでなくなり、 本州・四国・九州もそれぞれに隔てられて、日本列島は現在に近いかたちとなった。 温暖化したことで、植生は大きく変化した。 それまで日本列島を覆っていた寒冷帯の針葉樹林に代わり、 ブナやクリなどの落葉広葉樹、カシやシイなどの常緑照葉樹が広がっていった。 恵みの森が出来たことで、人々は獲物を追って移動する暮らしをやめ、長期的に定住し、 木の実や山菜などを採集したり、海岸や湖岸で魚貝を獲ったりして暮らすようになった。 竪穴式住居を建てて棲む。 拾い集めた主食である木の実は、縄文式土器で茹でてアクを抜いて食べる。 人々は集団を作り、協力して暮らした。 森を中心とした縄文人の生活は、1万年にわたって続いた。 縄文黎明期には 2万人だった日本人口も、20万人ほどにまで増えた。 当時日本で最も栄えていたのは、クリやブナの落葉広葉樹が豊かに茂る東北地方であった。 [ 弥生時代 ] だが時代は、渡来人の登場で、大きなうねりをもって変化する。 稲作文化と青銅製の武器を持った人々が、大陸から続々と九州北部へ渡ってきたのだ。 遺伝子研究によれば、日本にやってきた渡来人は、長江流域に棲んでいた人々らしい。 九州北部にたどりついた彼ら渡来人は、そのままそこに棲み着き、水田を作った。 そして、手付かずで点在している湿潤な日本の平野を求めて各地に広がりながら、 それまでいた縄文人を次々と席巻していった・・・・ [ 追記 : 日本人のルーツ ] バイカル湖畔に暮らし、シベリアから南下してきた縄文人。 長江流域に暮らし、日本海を渡ってきた弥生人。 私たち日本人とは、この縄文人と弥生人の混血である。 この島に自然発生した単一民族ではない。 アフリカで誕生しユーラシアを横切って拡がってきた人類は、 北ルート・西ルート・南ルートとさまざまな経路で、ユーラシア最東の地・日本に流れ込んだ。 日本民族は、彼らの混血・ハイブリッドなのだ。 そして、人類のグレートジャーニーはここで終わらなかった。 氷河期の干上がったベーリング海峡を渡り、北米大陸・南米大陸を南下していった。 そうやって人類は、世界中に進出したのだ。 縄文人もこんな風に森の中から 青い空を見上げたのだろう