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息子のある友達(A君とします)が、今日幼稚園で息子に、しきりに「サンタクロースにDSを頼んで」と言ってきたとききました。
うちの子はまだDSを持っていないのですが、欲しがっていないので、母としてはサンタクロースに「お願い」する物として全く考えていませんでした。 息子いわく、「A君は人とおんなじじゃないと安心しない」そうです。 その伝でいくと、A君は、自分がDSを持っているのに、うちの息子が持っていないことに、なんらかの不安か不満を抱えているということになります。 …しかし、 うちはうちの方針があって、少なくとも幼稚園のうちはDSは要りませんて、お母さんが言ってたってA君に言いな、と息子に伝えたのですが… 息子がDSを本当は欲しいけど、親の反対にあうのがわかっているからそんな愚痴をA君にもらした結果、「サンタクロースに~」と言われたのなら、理解できるんだけど、なんだかなぁ。その可能性は少ないかな。 しかしながら、友達と持ち物等で足並みを揃えたがるあまり、サンタクロースに頼め、などと言ってくるA君に、子どもの言ったこと、とは思いますが、正直嫌悪感を抱いてしまいました。 A君の、というより、その親の不安感がA君に反映されているだけだと思うので、A君をとやかくいう気はないんだけど、 親子で納得して買ったものならそれでいいじゃないか、人を巻き込まなくても、と思います。 納得しきれていないから、人の動向が気になるし、親も親で「いい親」と人に思われたい気持ちが強いと、どうするのが「正解」か、考えてしまうんだろうな。それで、正解なんてないから、多数決みたいに多数派に合わせておけばひとまず安心するんだろうけど、なんかうちみたいに、確固たる信念に基づき?(注:そんなのありません)買わないものは買わない、としていそうな家庭をみると、自分の決定に根拠がなかったぶん、ぐらついてしまうんですね。 うちがDSを買わない理由は…、 息子は拙いながらも絵を描いたり、工作をするのが好きだし、ピアノの練習ももっとしてもらいたい。 だから、親の贔屓目や勝手な願望かもしれませんが、そうした創造的な遊びや時間の使い方が楽しい、と思える息子を嬉しく思うし、この気持ちを出来るだけ長く保ってほしいからです。 一方で、ゲームの喜びや楽しみは、そうした創造の喜びとは真逆のものです。 そして、次々といろんなソフトを購入するうちに、知らずに「この世はお金をかけないと楽しめない」、と刷り込まれていくような怖さもある。 だから、ゲームを完全に否定する訳ではないけれど、関わるのは遅ければ遅いほどよい、 ゲーム以外に楽しめるもの、打ち込めるものをいっぱい見つけてからでよい、と考えています。 何よりも、友達とは、一緒に話したり、走り回ったりするだけで十分楽しいんだ、と、感じられる人であってほしいな。 A君とも、そんな素朴な善き友だちだと思っていたのですが。 小学生になったら、もっといろんなことはあるし、親の教育方針の違いは顕著になるのでしょう。 違いを認めつつ、相手とどう関わっていくか…、 そんなコミュニケーション力を試される場面も多々あるんだろうな。 だとしたら、親子ともに、なおさら、機械相手に時間を費やしている場合じゃないよね。 ということで、寝ます(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.09.30 23:47:09
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