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《櫻井ジャーナル》

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2012.02.24
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 また「南京事件は捏造」という話が飛び出した。南京市の共産党市委員会常務委員らに対する河村たかし名古屋市長による発言だ。1945年、市長の父親が南京で「温かいもてなしを受けた」ことが根拠らしい。

 市長である以上、飲み屋でおだをあげても問題だが、相手を考えれば口にすべきはなかった。政治家としての資質がないということだ。日中関係が悪化することを願うアメリカの支配層は喜ぶだろうが。

 この事件に関しては多くの報告があるが、ここでは事件当時、特務機関員として南京市の周辺で諜報活動に従事していた知人の話を紹介する。彼は次のようなことを言っていた。

 「市内をくまなく調べたわけではなく、何人が殺されたかはわからないが、虐殺と言えることが行われたことは間違いない。」

 こうした虐殺が行われた背景として彼が指摘していたのは通州事件。1937年7月、「冀東防共自治政府保安隊」の襲撃で日本人居留民約230名が虐殺されたと言われている。この事件を知り、興奮状態になったまま日本軍は同年12月に南京市へ攻め込み、虐殺が行われたというのだ。勿論、通州事件を起こした人間と南京市の市民は関係ない。

 この事件を難しくしている理由のひとつは、南京攻略に参加していた上海派遣軍の司令官が朝香宮鳩彦、昭和天皇の叔父にあたる人物だったことだろう。そしてもうひとつの問題。南京を攻略すると、憲兵隊が組織的に略奪を始めたとする報告がある。公的な資産を奪っただけでなく、銀行や裕福な家に押し入って金や宝石などを略奪したとも言われている。南京事件を掘り下げていくと、この問題に行き着き、アメリカ支配層にとっても都合の悪いことになる。

 戦後、南京事件の責任者として、中支那方面軍の司令官だった松井岩根大将が絞首刑になっているが、松井が事件に関与していないことは明らか。朝香宮に累が及ばないように松井が罪を被ったとも言われている。





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最終更新日  2012.02.25 00:18:23



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