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《櫻井ジャーナル》

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2012.03.19
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 リビアの市民を助けるためだと称し、NATO軍はアル・カイダ系の武装集団と手を組んでムアンマル・アル・カダフィ体制を武力で倒した。その際、「人権団体」も旗振り役を演じていたが、実際のところ、NATO軍/アルカイダ系武装集団は市民を殺し、「民族浄化」的な行為を繰り返し始める。これは本ブログで何度も書いたことだ。

 「西側」、特にアメリカや日本のメディアはこうした現実を無視しているが、アムネスティ・インターナショナルにしろ、ヒューマン・ライツ・ウォッチにしろ、こうした現実も取り上げている。人権団体を名乗るなら当然のことだが、NATO軍は市民を殺害した責任を感じていないようで、調査をする姿勢を見せていない。アムネスティ・インターナショナルから批判されるのは当然。この団体はこの件で報告書を出した。

 市民を助けるという名目で戦争を始め、市民の犠牲を厭わずにターゲット国の体制転覆を謀るというパターンをNATO軍は1999年3月に始めている。ユーゴスラビア攻撃だ。

 ユーゴスラビア政府は残虐だというプロパガンダを展開していたひとりは、エルサルバドル駐在のアメリカ大使だったウィリアム・ウォーカー。1999年1月のことだ。彼の話は、コソボにあるユーゴスラビアの警察署で45名が虐殺されたというもの。

 この話が嘘だということはすぐに判明する。現場にAPのテレビ・クルーがいて、実際は警察とKLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)の戦闘によって死者がでたことを撮影していた。そのそばにはウォーカーもいて、事情を熟知していたはずだ。つまり、意図的に嘘を流した可能性が高い。

 ウォーカーがエルサルバドル駐在大使だった1989年、この国の政府軍はカトリックの指導的立場にあった司祭6名とハウスキーパーやその娘を殺害しているのだが、この事件に関する調査をウォーカーは妨害している。ウォーカーは残虐行為に「寛容」なタイプの人間だということだ。こうした過去を知る人が少なくなことをアメリカ政府なりNATOなりは認識していたはず。

 その前、好戦派は「ジャーナリスト」を使ってプロパガンダを展開していた。そのひとりがニューズデーのロイ・ガットマンである。1992年8月にボスニアで16歳の女性がセルビア兵にレイプされたと報道している。

 ドイツのボン支局長だったガットマンはヤドランカ・シゲリなる人物の情報を垂れ流していたのだが、シゲリはセルビア人を敵視していたクロアチアの与党、HDZ(クロアチア民主団)の副党首を務めていた。しかも、クロアチアの亡命者が創設したプロパガンダ組織CIC(クロアチア情報センター)のザグレブ事務所の責任者でもあった。CICはCIAと密接な関係にあることが知られている。

 こうした「偽情報を流した功績」により、1993年にガットマンはピューリッツァー賞を贈られ、1996年にヒューマン・ライツ・ウォッチはシゲリを主人公にしたドキュメント映画を発表した。

 こうした下準備をしたのち、1998年にアメリカのマデリーン・オルブライト国務長官は空爆の支持を表明、NATO軍のウェズリー・クラーク司令官も賛成する。そしてウォーカーの一押しだ。

 2001年9月11日に世界貿易センターやペンタゴンが攻撃された直後、ホワイトハウスの好戦派から攻撃リストを見せられたと語った人物だ。そのリストはイラクから始まり、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランが載っていたという。

 アメリカ政府の好戦的な姿勢に対し、セルビアのスロボダン・ミロシェビッチ大統領はコソボからの撤退という条件を呑んだ。つまり、コソボのセルビア系住民を見捨てるという決断を下したのである。

 和平に反対したのはKLA。NATO軍を引きずり込むため、挑発的行為を繰り返す。ヘンリー・キッシンジャーに言わせると、1998年10月から99年2月までの期間で停戦違反する行為の80%はKLAによるものだった。

 その後の交渉でセルビア政府はコソボの自治権を認め、弾圧もやめることで合意したのだが、車両、艦船、航空機、そして装備を伴ってNATOの人間はセルビアを自由に移動できるという項目、つまりNATOが事実上、セルビアを占領するという条件をセルビア政府は受け入れられなかった。要するに、NATOやKLAは和平を望んでいなかった。リビア、シリア、イランでも似たことが行われている。

 そして1999年3月にNATO軍はユーゴスラビアを先制攻撃し、多くの市民が犠牲になる。5月には中国大使館も爆撃された。攻撃目標を設定したのはCIAで、3基のミサイルが別々の方向から大使館の主要部分に直撃している。「計画的な爆撃」だった可能性が高い。

 1999年当時、コソボ紛争の最中にアメリカ陸軍の第4心理作戦グループの人間が2週間ほどCNNの本部で活動していたこともわかっている。アメリカ軍の広報担当によると、派遣された軍人はCNNの社員と同じように働き、ニュースにも携わったという。

 この前年、CNNとアメリカ軍は激しく対立していた。ラオスでアメリカの特殊部隊がサリンを自国の捕虜に対して使用したとする報道が原因。その結果、サリン問題を追及したふたりのプロデューサー、ジャック・スミスとエイプリル・オリバーは辞任に追い込まれている。この出来事を契機に、CNNとアメリカ軍は親密度を増したようだ。





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最終更新日  2012.03.20 10:49:24



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